施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)

※台風や大雨等の影響により、当館を市の避難所として開設する場合があります。この場合、臨時休館といたしますので、ご了承ください。
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271
E-Mail
mimuseum@eos.ocn.ne.jp

※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

令和3年度水俣病犠牲者への「祈りの言葉」



水俣市長「祈りの言葉」

 水俣病により亡くなられたすべての御霊が、安らかならんことをお祈りし、慎んで哀悼のまことを捧げます。昨年度は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から、初めて慰霊式を中止することになりました。本年は、例年通りの開催を望んでおりましたが、実行委員会の皆様や専門家の御意見を踏まえた上で、参列される方々の安全を最優先に考えて、規模を例年の10分の1程度に縮小して開催することとしておりました。しかしながら、5月1日が近づくにつれて、全国的に感染が拡大し、熊本県内でも感染者が増加する状況となり、あらかじめ実行委員会において決められていた開催中止の条件に該当することとなってしまいました。水俣病犠牲者慰霊式は、犠牲となられたすべての生命に祈りを捧げ、水俣病の教訓に深く思いを致す本市にとって非常に大切な式典であり、安全を優先して決定とはいえ、2年連続の開催中止となったことは大変残念に思っております。

水俣病の公式確認の日から、今年で65年目を迎えました。
 水俣病の発生当時は、原因が分からず、伝染病のように思われ、差別や偏見、誹謗、中傷により塗炭の苦しみが生じました。同様に新型コロナウイルス感染症でも、ウイルスに対する理解不足から地域や感染者への差別的な言動が問題となり、改めて正しい情報を伝えることの重要性を実感いたしました。
 現在は、感染リスクにより、これまでのような取組が困難な状況ですが、リモートを活用するなど工夫しながら、水俣病の教訓発信や水俣病に関する情報を正しく伝える取組に努めてまいります。
 本市は、これまで、市民の皆様をはじめ、議会、行政が一体となって、国や県の御支援をいただきながら、環境に配慮した様々な取組を実施してまいりました。その結果、国の環境モデル都市に選定されるなど、環境のまちとして高く評価されるようになりました。
 さらに、昨年度には、環境モデル都市の理念を継承し、発展させた「SDGs未来都市」に選定されました。今後は、経済、社会、環境の三側面の統合的取組により、未来にわたって豊かで活力ある地域社会を創造し、「みんなが幸せを感じ、笑顔あふれる元気なまち、水俣」を目指して、強い信念と実行力をもって、引き続き、さまざまな施策を推し進めてまいります。

 最後に、改めて、水俣病で犠牲となられたすべての生命に心から祈りを捧げ、祈りの言葉といたします。

  令和3年5月1日

水俣市長 髙岡 利治


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患者・遺族代表「祈りの言葉」

 私の記憶に残るのは、祖父の葬式で墓に行く父・川本輝夫の姿です。祖父は私が3歳の時に、勤めていた精神病院の保護室で、いわゆる劇症型水俣病の狂騒状態で未認定のまま亡くなりました。父はそんな祖父を一人で看取りました。私の手を引いて、父は大声で泣いていました。「じいちゃんの亡くならしたっぞー」と。死の意味も分からない私に、父は泣きながら語り続けました。抜けるような青空と、父の悲しみとがあまりにも対照的でした。
 父の行動は、この慟哭から始まりました。
 座り込み闘争宣言で「チッソ幹部は全国からの指弾の目を避けるための画策を練り、私たち患者家族が『チッソ王国水俣』で手負い猪になることをしきりに言う。私たちは同じ『手負い猪』になるのなら、最も悲惨・苛烈・崩壊・差別の原点『水俣』から日本を血だるまで、駆けめぐりたい。」と宣言しました。水俣病事件に巻き込まれ、家族を殺され自分自身も傷つきながら、水俣病事件によって破壊された人としての尊厳を取り戻そうとしたのが、父の水俣病事件の闘争でした。

自らも患者でありながら一軒一軒訪ねてまわり、認定申請を勧めた父。その人たちの辛さや暮らしの大変さを自分に重ねて、身にしみて感じていた父は、その方たちの代弁者として一生を走り続けました。胎児性の患者さんに寄せる優しい父のまなざしは私のあこがれです。
 1年9か月続いた自主交渉の場では、当時の島田社長に
「日本全国の同じ父と母が、そんなに違いがあってよかですか。同じ幸せであるべき父と母が、そんなに変わっていいですか。・・」
と話しかけました。「人間の価値、命の重さは同じだ。人間は幸せになるために生まれてきた。」という父の哲学に裏付けされた言葉でした。
 父はこれまでに4回逮捕され、家宅捜索を2回受けました。すべて無罪でしたが、映像で映る家宅捜索のニュース、数々のいやがらせハガキ、電話。幼い私は傷つきました。私はまだ幼くて、差別に弱かった。差別をはねのけるすべを知りませんでした。辛くて悲しかった。でも、母は揺るがなかった。私たちきょうだいに、父は「何も悪いことはしていない。患者さんのために闘っている。」と教え続けました。私たち家族は、父を支えるため、必死で生きてきました。
 「熱意とはことあるごとに、意志を表明することにほかならない。」これは父が私たちに遺した遺言です。意志を表明し続けた人生だったと思います。「口では言わないけど、おまえの親父さんがすごいことをしてきたとみんな思っている。」「あんななかで、たった一人で闘ってきたお父さんは偉かったと思う。」と言ってくれる友だちがいます。父の言葉や生き方はたくさんの人を勇気づけ、未来を生きる道しるべになるのではないかと思います。そんな父に、私はゆるぎない尊敬を感じています。
 今、人間の弱さ、差別性があぶり出されています。また、水俣病事件でも起きていた匿名の中傷・差別が、形を変えてたくさんの人を傷つけています。自分自身も注意深く見極めていかなければ、差別をする立場に立っていることにさえ気づかないかもしれません。こんな時代だからこそ、水俣病事件の教訓を生かし事実を受け止め間違いは正し、乗り越えるために知恵を絞ってきた、おとなたちは話し合いを重ね努力してきたと、胸を張って未来をになう子どもたちに言えるようになりたいと思います。
 
 水俣病事件で闘ってきた父、父に力を与えてくださったみなさま、無念の中で亡くなられたみなさまのご冥福をお祈り申し上げます。私たちは未熟で、まだまだ間違いを繰り返すかもしれません。ご冥福をお祈りするとともに、私たちを正しき道へお導きくださいますようお願いいたします。
 
 コロナ禍にあり慰霊式を中止せざるを得なかったこと、大変な準備をされた中でのご判断でさまざまな葛藤があったことと思います。ご尽力くださいましたみなさまに、心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

  令和3年5月1日

患者・遺族代表 上野真実子


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環境大臣 「祈りの言葉」

 水俣病によって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。

 また、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、その御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯です。

 政府を代表して、水俣病の拡大を防げなかったことを、改めて衷心よりお詫び申し上げます。

  2年前に、環境大臣として、はじめて水俣を訪れました。語り部の皆様がお話になる水俣病の歴史や思い、不知火海の恵み豊かな自然に触れ、水俣病によってもたらされた被害がいかに深刻なものであるか、さらには、一度失われた環境や人の健康、地域社会の回復がいかに困難なものであるかを、肌身をもって感じました。

 水俣を訪れ、目にし、耳にし、感じたことのどれをとっても忘れることができません。そのような中で、令和2年度に続き、今年度の慰霊式が中止となったことについては、誠に残念でなりません。

 熊本県内のすべての小学5年生は 水俣病について学習しているということを、水俣病について学ぶ中で知り、深く感銘を受けました。そして、慰霊式において立派に「祈りの言葉」を述べる2人の小学6年生の後ろ姿を見て、語り部の皆様をはじめとする数多くの方々の御協力により、水俣病の歴史と教訓は、確実に世代を超えて引き継がれていることを実感しました。これまで多大な御尽力をいただいたすべての方々に、深く敬意を表します。

  水俣病をめぐる様々なことを学び、感じたあの日以来、私は「決して忘れてはならないことが水俣にある」という思いで、環境行政の推進に全力で取り組んでまいりました。

 水俣病の公式確認から65年を迎えた本年は、環境庁創設から50年、環境省設置から20年の節目を迎えた年でもあります。この間、水俣病をはじめとする公害問題から気候危機へと課題が拡大する中でも、環境省は、「人の命と環境を守る」ということを環境庁設置以来の不変の使命としてきました。その使命の原点となっているのが水俣病です。
 環境省では、これまでも、胎児性・小児性患者をはじめとする方々への 医療・福祉 サービスの提供 、「もやい直し」と言われる 地域 社会において失われた絆の修復、地域資源を活かしたまちづくりの推進に関する取組を進めてまいりました。今後とも、水俣病の被害を受けた方々やその御家族などが地域の中で将来にわたり安心して暮らしていける社会を 実現すべく 、できることを一つ一つ積み重ねてまいります。

 世界のいかなる国においても、水俣病のような悲惨な公害は二度と繰り返してはなりません。水俣病の教訓をもとに熊本県水俣市で採択された「水銀に関する水俣条約」は、130を超える国が締約するに至りました。私たちの使命と責任として、水銀による苦しみを経験してきた我が国だからこそ、世界から水銀による被害を無くす取組の先頭に立たなければいけません。1960年代と比べて、国内では、経済の規模が5倍に拡大したにも関わらず、水銀使用量は500分の1まで減少しました。引き続き、過去の経験と教訓を世界に発信し、国際社会の中で先頭に立って、水銀による環境汚染や健康被害のない世界の実現に向けて取り組んでまいります。

  水俣には、郷土の魅力を活かしながら、地域の発展と活性化を目指し、日々懸命に奮闘する方々がいらっしゃいました。2年前、現在の水俣を支えている方々、そして水俣のこれからを担う若い方々と直接お話をさせていただく中で、その熱意と意欲にも触れることができました。こうした、地域の方々の思いを胸に、国として、地方公共団体、事業者、国民の皆様とともに、公害のない、持続可能な社会の実現に向けて、そしてまた、美しく、恵み豊かな自然環境を守り、将来に継承していくため、全力で取り組んでいくことを誓います。

 最後に、改めて、水俣病の犠牲となりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、私の「祈りの言葉」とさせていただきます。

    令和3年5月1日       

環境大臣  小泉 進次郎 



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県知事 「祈りの言葉」

水俣病で尊い命を失われた方々の御霊に対し、全ての熊本県民とともに、謹んで哀悼の意を表します。

 今年、水俣病の公式確認 から65年を迎えることとなりました。熊本県として、水俣病の被害を食い止めることができなかったために、その被害に苦しんでこられた方々、そしてかけがえのない御家族を亡くされた御遺族の方々の大きな苦しみや悲しみは、長い年月を経ても決して癒されるものではありません。
 県民の生命や健康を守る立場である本県が、水俣病の被害拡大を 防止できなかった責任は重く、熊本県知事として、心よりお詫び申し上げます。

 本県は、熊本地震からの創造的復興に懸命に取り組んでいる中、新型コロナウイ ルス感染症、令和2年7月豪雨に見舞われ、県政史上例を見ない危機的状況に直面しています。私は、これらの危機に対して、水俣病の教訓を胸に日々対応して参りました。
 県行政にとって、水俣病から学んだ大きな教訓の一つは、初動対応の重要性です。今年1月、新型コロナウイルス感染症の拡大を抑えるため、県独自の緊急事態宣言を発令しました。

 私が、国の発令を待たずに、国の緊急事態宣言と同等の感染防止対策を実施する決断をしたのは、県民の生命と健康を守るためには、県として、とりうる手段は直ちに講じるべきという水俣病の教訓があったからです。
 私の政治の原点は水俣病です。悔やんでも悔やみきれない過ちを二度と繰り返すことのないよう、水俣病の教訓を、県のあらゆる施策に活かし続けていくのが私の責務です。これからも、被害を受けた方々に寄り添いながら、水俣病問題の解決に向けて、全力を尽くして参ります。

 公健法に基づく水俣病の認定審査については、認定を求める方々がおられる限り、平成25年の最高裁判決を最大限尊重し、着実に審査を進めて参ります。また、寝たきりで移動が困難な方に対する往診や移動手段がない方に対する送迎支援など、申請者の個々の事情に十分配慮しながら丁寧に対応して参ります。

 胎児性・小児性患者の方々は、水俣病の長い歴史とともに、人生を歩んでこられました。時の経過とともに、御自身の高齢化による身体機能の低下に不安を覚えておられ、また、介護をされる御家族も高齢化が進み、日々の暮らしを取り巻く環境は、厳しさを増しています。
 住み慣れた地域で安心して暮らしていただけるよう、これまで、在宅福祉の充実などに取り組んで参りました。今後も、患者御本人や御家族の将来の生活への不安や御希望を きめ細かに汲み取り、お気持ちを 最大限尊重しながら、課題の解消に向け、取り組んで参ります。

 水俣病は、健康被害や環境汚染だけでなく、偏見や差別の問題も引き起こしました。特に、水俣病発生当初は、伝染病ではないかとの誤解から、患者御本人や御家族が孤立するなど、身体だけでなく、心にまで大きな苦痛を強いてしまいました。
 
また、地域の外からの偏見や差別、更には、風評被害も受けることになりました。 新型コロナウイルス感染症においても、残念ながら、感染者や医療従事者などへの不当な扱いや誹謗中傷が確認されています。
 我々は、水俣病の経験から、正しい情報に基づき冷静に判断し、行動することの大切さを学んでいます。 謂れのない差別が繰り返されることはあってはなりません。このコロナ禍にあっても、水俣病の歴史や教訓を、リモートによる講話など新たな形も取り入れながら、しっかりと発信 し、継承 して参ります。

 併せて、地域の再生と振興も、欠かすことのできない重要な課題です。昨年策定した第七次水俣・芦北地域振興計画に基づき、国や市・町、地元関係者の皆様と一体となって、力強く取組みを進めて参ります。

 私にとって5月1日は、水俣病の歴史の重みと県の責任の重さを受け止めながら、水俣病問題解決への決意を新たにする特別な日です。昨年に続き、水俣病犠牲者慰霊式の開催は中止となりました。誠に残念ですが、私のこの思いは、いささかも変わるものではありません。

これからも熊本県は水俣病問題に真摯に向き合い、全力を尽していくことをお誓い申し上げます。

 結びに当たり、改めて水俣病犠牲者の方々の御冥福を心からお祈り申し上げ、私の「祈りの言葉」と致します。

 

令和3年5月1日

熊本県知事 蒲島郁夫



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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」

 

今年度の水俣病犠牲者慰霊式が新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止のため中止を余儀なくされましたため、この場をお借りして、謹んでお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様方に対しまして心より哀悼の意を表します。

当社は、この水俣の地で創業し、水俣市、及び周辺市町村の皆様に支えられ、地域とともに歩みながら事業活動を続け、今年で百十三年を迎えることができました。

 しかしながらこの間に、当社の工場廃水に起因する水俣病を惹き起こし、多くの方々が犠牲になられましたこと、そして地域の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことは、痛恨の極みであり、ここに衷心よりお詫び申し上げます。

 当社は、これまで患者の皆様に対する補償責任の完遂を経営の至上命題に掲げ、必死の努力を重ねてまいりました。この補償責任を果たしていく決意は、今後も決して変わることなく継続してまいる所存です。

 事業会社であるJNCもスタートして早や10年が過ぎ、これまで、収益基盤の安定と強化に努めてきたところでございますが、経営を取り巻く環境は、極めて厳しく先行きが不透明な状況が続いております。
 また、国際情勢も混迷を極め、新型コロナウィルス感染症の世界的な感染拡大により、景気の先行きを見通すのが大変難しい状況になっております。

 このような厳しい環境下ではありますが、主力工場である水俣製造所を始めとする当社グループにおきましては、水俣病の反省に立ち、常に環境、安全に配慮したものづくりに努めるとともに、世の中のくらしに貢献できる製品の開発を目指し事業活動を進めております。加えて、カーボンニュートラル社会の創出に向けた取り組みの一環として水力発電所の活用も積極的に推進しております。
 これらの取り組みを通じ、早期の収益回復と持続的な経営基盤の確立に努め、患者の皆様に対する補償責任の完遂と地域社会の繁栄・発展に貢献してまいります。

 そして患者の皆様が安心して暮らしていけますよう、関係自治体が検討される必要な施策に対しましても協力してまいる所存です。

 これらのことが犠牲となられた方々の鎮魂のため、また、国、県、関係各位並びに地域の皆様からのご支援にお応えするための当社の責務であり、これからもより一層の経営努力を重ねてまいりますことをここにお誓いし、祈りの言葉といたします。

 

令和3年5月1日

チッソ株式会社 代表取締役社長 木庭 竜一



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