施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)

※台風や大雨等の影響により、当館を市の避難所として開設する場合があります。この場合、臨時休館といたしますので、ご了承ください。
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271
E-Mail
mimuseum@eos.ocn.ne.jp

※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成6年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉


水俣市長 式辞
 水俣病犠牲者慰霊式を挙行するにあたり、水俣病の発生によって犠牲となり、尊い生命を失われた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。
 本日は、御遺族や患者の皆様方、環境庁、国会議員の諸先生、熊本県知事、熊本県議会議長をはじめ、関係市町村の皆様方並びに市民多数のご臨席を賜り、誠にありがたく厚くお礼を申し上げます。
 水俣病発生により、ある者はもだえ苦しみ亡くなり、ある者は今も意のままにならない身体を抱え込み、しかもいわれなき中傷、偏見、差別を受け、心身ともに悲惨な状況におかれました。その苦しみをお聞きしますと、言語に絶するものがあります。又、ご遺族の心情を拝察しますと胸の詰まる思いがします。
 当時の激烈な惨状を今振り返って見ますと、水俣市は奇病対策委員会の設置や明水園の設立など可能なことはしてきたとはいえ、市民でもある患者の苦しみを眼の前にしながら充分に役割を果たし得たのだろうか、あの時こうすればよかった、こうしなければならなかったのではという反省の念を禁じえません。又、未だもって苦しんでおられる方々が今よりも少なかったのではと悔まれてなりません。
 水俣病で犠牲になられた方々に対し、十分な対策を取り得なかったことを、誠に申し訳なく思います。
 あなた方の犠牲が無駄にならないよう、水俣病の悲劇の反省と教訓を基に環境、健康、福祉を大切にするまちづくりをさらに進めていくことでお赦しをお願いいたしたいと存じます。
 水俣病の健康被害とともに、水俣にはもうひとつの悲劇が存在することとなりました。
それは加害者も被害者も同じ小さな町に同居し、暮らしていたからであります。
 市民は患者や家族の悲惨な状況に心から同情し、道義的な憤りを感じる一方で、「チッソ」が潰れると自分は職を失うのではないか、自分の店は潰れるのではないかなどと思い惑い自らにふりかかる地域の経済的、社会的破綻を極度に恐れていたことは否めません。
 相反する問題を同時に抱え込んだ市民には、いずれに比重を置くか、いずれに荷担するかで、複雑な感情や葛藤が生まれ、患者とそうでない市民の心が離反し、患者も幾つかの団体に分かれるなど水俣は混乱の極みに達しました。 
 また、水俣病の原因が明らかになってくるにつれ、水俣市もあるいは又、市民も、「チッソ」の存続を国や県に要請する運動のほかは、水俣病問題を国と県に委ねがちになるなど消極的になってしまいました。水俣病問題の解決に果たせる本市の権限や役割が限られていたことや、中傷、非難、差別あるいは対立の中で市民は傷つくのを恐れていたこともあります。
 市民のほとんどが、水俣病を克服しなければ水俣の発展はないことを十分に認識し理解していながら、「ではどうすればよいか」という判断をしないまま四十年近く過ごしてまいりました。
 そのために、問題解決に向けた市民の合意は形成されず、水俣病問題の解決を今日まで延々と遅らせ、市の沈滞をもたらした大きな原因のひとつともなりました。
 この悲劇を乗り越え、この社会的悲劇をもたらしたものの克服なくして水俣の将来の展望は生まれません。水俣病の教訓を、外に向けて発信する前にまず水俣市民自らが受け止め、水俣の悲劇を乗り越える新たな地域文化を形成し、今までにない価値観に基づく地域づくりをなすことができなければ、水俣病による苦しみも悔しさも永遠に癒すことはありえないでしょう。
 水俣病を体験した私どもは、環境がいかに大切であるか、健康を守るのがいかに困難なものか、努力を必要とするかを知りました。このことから、人類自らが犯そうとしている地球環境破壊などの愚かな行為を防止するために、他に先駆けて「環境と健康はすべてに優先する」という基本理念から環境創造のための新たな実践を試みる責務があります。
 水俣病被害者の救済は勿論のこと、水俣病で犠牲となったものの代償である水俣湾埋立地を、後世に誇りうる遺産とし、失われた環境を蘇生させ、傷ついた市民の心を癒し、荒れ果てた市民の連帯感を修復し、住む喜びと誇りの回復に取り組まねばなりません。 
 市民の中にも「きつかったですね、すみませんでした。知らなかったもんで」「あなたたちもきつかったんですね」という声が交わされるようになってまいりました。そんな変化へのとまどいや不安が交錯する中で、市民ともども新たに出発できるように、祈りと誓いを形にした石像をこの地に設置する動きも出てまいりました。
 亡くなった方たちが浮かばれるように、己を識りお互いを認め合うという羅漢の和で、諸々の困難な事柄を克服し、今日の日を市民皆んなが心を寄せ合う「もやい直し」の始まりの日といたします。
 そして、人間は自然の中の一員で、自然によって生かされているという考えに立ち、生と死の間を循環する動植物すべての命を尊敬し天地自然と調和していく共生の思想を真摯に受け止め、これからの時を心新たに刻んでいくことをお誓いいたします。二度と水俣の悲劇を繰り返さないよう広く内外に訴え続けてまいります。
 このことが犠牲となられた方々への最大の供養となると信じております。最後に、犠牲者のご冥福を心からお祈りし、併せてご遺族の方々のご清福を衷心よりご祈念申し上げまして式辞といたします。

  平成6年5月1日
                  水俣市長 吉 井 正 澄
  

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水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」
  私は万感の思いを胸にここに立ち水俣病の犠牲となられた皆様に心から哀悼の意を表します。
 私たちは、この足下に眠る海のたいへん深い懐の中で生きてきました。そして、この海は、私たちに、生きる糧と限りない力を与えてくれました。しかし、人間の愚かな行為はこの海を死に至らしめました。海に対する畏敬の念を忘れた人間は、大きな代償を払わざるを得ませんでした。
 私たちは、亡くなられたみなさまの死を無駄にしないためにも、この海を國民共通の財産として、また、次の世代を担う子供たちへの責任としてよみがえらせなくてはならないと思います。また今日という日はなくなられたみなさまの冥福を祈る日であると同時に、いまを生きる私たちがこれからどのように生きていくかを、深く静かに想いをめぐらせる日であろうと思います。
 そういう意味で私に課せられた仕事は一刻も早く水俣病被害者の救済を実現することであります。救済を求める被害者の声をこの國の為政者のみなさんが真摯に受けとめていただくことを望みます。
 そのためにも、すべての被害者団体が一致できる要求で足並みを揃えていくことを呼びかけたいと思います。また同時に不知火海沿岸にすんでいる人人が力を合せて、地域を活気ある街にしていくことが亡くなられたみなさまの気持に応えていく道ではないでしょうか。
 私どもは、今日という日を深く胸に刻み亡くなられたみなさまのご冥福をお祈り申し上げるとともにご遺族のみなさまのご健康をお祈りし、私の祈りの言葉といたします。

 平成六年五月一日
             水俣病第三次訴訟原告団団長 橋口 三郎


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熊本県知事 「祈りの言葉」
 本日、水俣病犠牲者慰霊式が、御遺族、患者の皆様をはじめ、多くの市民の皆様、関係各位の御臨席を得て、厳粛にとり行われるにあたり、熊本県を代表して、一言祈りの言葉を申し上げます。
 まず、水俣病により亡くなられた方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。また、その御家族、御親戚の皆様方や、今なお水俣病に苦しんでおられる方々に対しましても、心からお慰め申し上げます。
 不幸にしてこの地で発生した水俣病は、人間の生命や健康はもとより、様々な影響を地域社会全体にもたらしており、市民の皆様が言葉に尽くし難い経験をされて来ているものと推察申し上げますが、このようなことに想いをいたしますとき、深い悲しみの情を禁ずることができません。
 水俣病の発生以来、県では患者の方々への補償・救済や水俣湾公害防止事業、そして水俣湾埋立地の整備事業など水俣再生のために、国や地元水俣市などとともに精一杯の努力を行なって参りましたが、水俣病が公式に確認されてから三十八年の歳月を経た今日においても、水俣病問題の解決を見ていないことはまことに残念なことであり、一日も早い解決に向け、私共行政としても全力を挙げねばならないとの決意を新たにするものであります。
 地元水俣においては、近年、水俣病患者の方々をはじめ、市民相互の対話や交流が進んで来ており、水俣病問題について率直に語れるようになったとの声を耳にするようになりましたが、このように、市民の皆様が水俣病問題について学び、語り合うことが、まず、大事なことではないかと思います。
 また、公害の原点と言われるこの水俣で、市民の皆様が立場の違いを乗り越えて、等しく、水俣病犠牲者に祈り、痛みを分かち合いながら、水俣病の教訓を生かした地域づくりを行なっていくことが、今の時代を生きる私たちの、次の世代に対する責務であろうと確信しております。
 県といたしましては、水俣病がもたらした様々な影響を深く認識し、大きな犠牲によって得られた経験を謙虚に受けとめ、患者救済問題をはじめ、患者の皆様の生きがいづくり、地域社会の再生など、なお残されている水俣病問題が早期に解決できますよう、引き続き全力を挙げて取り組んで参りたいと考えています。
ここに、重ねて水俣病により亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。

  平成六年五月一日
                 熊本県知事 福島 譲二
 

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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」
 水俣病犠牲者慰霊式にあたり謹んで御霊の安らかに鎮まり給うことをお祈り申し上げます。
当社は、一九〇八年この地に創業して以来八十有余年、地域の皆様に支えられて地域とともに発展して参りました。然るにその間において、工場排水に起因して水俣病という公害の原点とも言うべき問題が発生し、剰え、犠牲となってお亡くなりになった方々まであった事は、眞に痛ましく、痛恨の極みであります。
 私どもはこの事を深く心に刻み、二度と再びこのような公害問題を起こさない事を固く心に誓って居ります。ここに、改めて衷心からお詫び申し上げますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。
 現下の経済環境は長期化する不況下にあって、まことに厳しい状況でありますが、私どもは全社一丸となってこの困難を克服して、水俣病補償責任を完遂し、地域の発展に努める事が私どもに課せられた責務であると考えております。そしてこの事が犠牲者の御霊の鎮魂の為に、又地域の皆様はじめ、国、熊本県、ご関係の多くの皆様から頂いております多大のご支援にお応えする最善の道であると信じて居ります。
 これらの事を固く肝に銘じて更なる努力を日々重ねることをここにチッソ株式会社を代表して、お誓いして祈りの言葉といたします。

  平成六年五月一日
              チッソ株式会社常任取締役水俣本部長  岡本 彬
  

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中学生代表 「祈りの言葉」
  今、私達が住んでいる水俣は、美しい山々や海に囲まれた、とてもきれいな街です。
けれど、四十年ほど前には、今の水俣からは想像もつかない事がおこっていたのです。
 この、光を浴びてきらきらと輝いている海も、水俣病発生の地ということで、自由に魚がとれなくなってしまい、今ではながめるだけとなってしまいました。
 水俣病については、小学生のときからいろいろ学習してきましたが、学校で学ぶ以外、友人と水俣病のことを話し合ったことはありません。
 水俣病という過去をもっているこの街。同じ街に住んでいながら、今でも苦しみと向かいあって生きている人達と、それを知らない私達が一緒にすごしているのは不思議な気さえもします。
 このままでは、世の中でおこったことを反省していくことができなくなり、“水俣病”という、苦しみと戦ってきた市民や尊い命を失っていった人々の歴史が消えていってしまいます。そのようなことがないように、水俣病歴史考証館や資料館、環境センターなどをおとずれ、もっとたくさんの事を学び、次の世代へ真実を伝えていかなければならないと思います。
 今日の慰霊式に参列したことをきっかけに、さらに“水俣病”というものを考え、そして、二度とこのような公害が発生しないように、努力していきます。
 最後に、水俣病で命を失われた方々の御冥福を祈り、遺族の方々の深い悲しみを思いつつ、お祈りの言葉といたします。

  平成六年五月一日
               水俣市立袋中学校 山口 圭
 

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市議会代表 「祈りの言葉」
 本日ここに、水俣病犠牲者慰霊式が御遺族を初め関係の皆様の多数の御臨席のもと、厳粛にとり行われるに当たり、犠牲となられた御霊に対し謹んで哀悼の誠を捧げます。
 水俣病公式確認から三十八年を迎えましたが、この間患者さんが受けられたいわれなき差別、偏見、中傷は肉体的苦痛以上の苦しみでああったろうと存じます。無念のうちに亡くなっていかれた患者さんは言うに及ばず、最愛の御肉親を失われた御遺族の御心痛をお察しする時、痛恨の情が切々として胸に迫るを禁じ得ません。また、病床においていまなお苦しんでおられる患者の方々に対し、心からお見舞いを申し上げる次第であります。
 水俣病の発生は、健康被害、環境破壊だけに止まらず、経済的、社会的、精神的な混乱を招き、市民間に根深い不信感を生み、市民生活にも深刻な影響を与えましたが、近年の各種イベント等を通じて患者さんと市民の対話の機会も増え、ようやく水俣病に対する理解が深まりつつあり、市民総意のもとに「市民の会」が結成されたのもこのあらわれであります。
 また市議会においても「環境・健康・福祉を大切にするまちづくり宣言」を決議するとともに、水俣病の経験を貴重な教訓として、水俣の素晴らしい自然を次の世代に引き継ぐという理念のもとに「環境基本条例」を制定し、市民が一体となって環境の保全に努めることにいたしました。
 今後は市民が心を一つにし、患者さんの早期救済を初め諸問題の解決に努めるとともに、水俣病の尊い教訓を生かし、世界の国々で悲惨な公害が二度と再び起きないよう世界にアピールしていくことが犠牲者の慰霊となり、また、私たち水俣市民に課せられた責務であると存じます。
 私たちは、水俣病で犠牲となられた方々のことを寸時も忘れることなく、過去の反省を肝に銘じ、本日を期にさらに心を新たにし、公害のない平和で豊かな水俣を築くため、より一層の努力をいたすことをお誓い申し上げます。
 ここに御霊の御冥福を祈り、併せて御遺族の御健勝を心から祈念いたしまして、祈りの言葉といたします。

  平成六年五月一日
            水俣市議会副議長 松本 充


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実行委員長 「祈りの言葉」
  水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるに当たり、水俣病の発生によって犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。
 本日は、大変ご多忙の中にもかかわりませず、ご遺族や患者団体の方々、環境庁、国会議員の皆様、熊本県知事、熊本県議会議長、関係市町の皆様方並びに市民多数のご臨席を賜りましてまことにありがとうございます。心から厚くお礼を申し上げます。
 顧みますと、水俣病の公式発見以来、幾多の紆余曲折を経て、永い歳月が経過いたしましたが、未だに解決の曙光を見出すことが出来ないのは、誠に残念であります。
 水俣病が発生して三十八年余を経過いたしましたが、この間、患者の方々はいわれのない偏見や、中傷、差別の中にあって深い苦悩を味合われたことと存じます。
 水俣病の犠牲となり亡くなられた患者さんの無念の思いと、柱とも頼む働き手を失い、日々苦しい生活を強いられたご家族や、愛しい肉親を亡くされた悲しみなど、ご家族のお気持は言葉に言い尽くし得ないものがあると思います。
 また、今なお病に苦しんでおられる患者の方々と、日常の介護に当たっておられるご家族に対し、衷心よりお見舞いを申し上げる次第であります。
 水俣市においては、水俣病問題を最重要課題として、市執行部、市議会、市民一体となって、国・県の格別のご高配とご尽力を賜りながら、患者救済、地域の再生・振興のため努力を傾けているところであります。
 更に、水俣市議会においては、「環境・健康・福祉を大切にするまちづくり宣言」を議決し、市は、「環境モデル都市づくり宣言」を行ない、環境や自然、生態系に配慮したまちづくりを積極的に推進して行くことにしております。
 水俣病問題の早期・全面解決は、地域全体で取り組むべき課題であり、水俣病問題の解決なくしては、地域の再生・振興はあり得ないという市民の気運が高まり、一昨年二月「水俣病問題の早期・全面解決と地域の再生・振興を推進する市民の会」が結成され、市民一丸となって、国・県など関係者の方々に、市民の切なる強いお願いをお伝えするなど、陳情を行ってまいりました。
 今後も、「市民の会」を中心として、現在、福岡高裁等で進められている「和解協議」をはじめとして、水俣病問題の早期・全面解決が一日でも早く訪れることを心から祈念し、市民相互のふれあいを融和を図りながら、なお一層の努力を傾注してまいる所存でございます。
 また、市民が問題解決に向け、一丸となって努力することが、犠牲となられた方々の御霊に報いることになると考えております。
 ここに、犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げ、併せてご遺族の皆様方のご清福を衷心より祈念いたしまして、祈りの言葉といたします。

  平成六年五月一日
     水俣病犠牲者慰霊式実行委員会委員長(水俣市議会議長) 徳富 勲
 

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