平成4年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉
- 水俣市長式辞
- 水俣病患者代表「祈りの言葉」
- 水俣病犠牲者遺族代表「祈りの言葉」
- 熊本県知事「祈りの言葉」
- チッソ株式会社代表「祈りの言葉」
- 県議会代表「祈りの言葉」
- 市議会代表「祈りの言葉」
- 実行委員長「祈りの言葉」
水俣市長 式辞
水俣病犠牲者慰霊式を挙行するに当たり、水俣病の発生によって犠牲となり、尊い命を失われた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。本日は、御遺族や患者各団体の方がた、環境庁、県選出国会議員、福島熊本県知事、古閑熊本県議会議長、関係機関及び近隣市町村の皆様方並びに市民、多数のご臨席を賜り、誠にありがたく厚くお礼を申し上げる次第であります。
水俣病は、戦後復興期の、昭和二〇年代後期頃から生産第一主義の過程の中で発生した、人の健康被害と環境破壊の深刻さにおいて、世界にその類例を見ない悲惨な公害病であります。
未知なる疾病の発症に、人々は、一時恐怖と混乱に陥り、美しい水俣湾の自然は損われ、市民生活に暗い翳りが投影し、水俣の苦悩が始まりました。
思えば、昭和三十一年五月一日、水俣病の公式発見以来、「原因究明」「公害病認定」「三次にわたる水俣病訴訟」「水俣湾公害防止事業」など幾多の紆余曲折を経て、既に三十六年の歳月が経過いたしました。この間、水俣病の犠牲となり亡くなられた方がたの無念を思い、一家の働き手を失い、いとしい肉親に先立たれる悲しみ、いわれなき差別や偏見などあらゆる苦難に耐えながら、今日まで過ごして来られた御遺族の御心情をお察し申し上げるとき、まさに断腸の思いを禁じ得ないものがあります。
さらに、いまなお闘病生活に苦しんでおられる患者さんや、その御族に対し哀心よりお見舞いを申し上げる次第であります。
今、水俣市は、水俣病がもたらした未曾有の被害と計り知れない影響に挫けることなく、その経験を貴重な教訓として、国、県等関係機関の特別のご支援を頂きながら、環境創造への崇高な目標に向かって、自然と人間と産業が調和したまちづくりに取り組んでいるところであります。
更に、環境汚染が地球の存亡に関わる人類最大の問題として認識されつつあるこんにち、水俣病の教訓を広く世界に情報発信し、産業公害への警鐘とすることは、公害の原点といわれてきた水俣市が全世界に対して果たすべき重要な責務であると考えているところであります。
私たちは、水俣病の犠牲となられた方々を忘れることなく、二度と災禍を繰り返さないという決意を新たにし、過去の反省にたって、生命の尊厳を守り、自然への畏敬の念をもって、生態系を大切にしながら、環境都市みなまたを目指してまいりますとともに、市民相互のふれあいと融和が図られるよう、なお一層の努力を積み重ねてまいりたいと存じます。
水俣病問題の早期解決は、全市民が等しく切望しているところであり、国、県並びに県議会の特段の御理解と御支援を賜りながら、患者救済をはじめ、水俣病問題解決のため、全力を傾注してまいる所存であります。
ここに、犠牲者の方々の御冥福を心からお祈りし、併せて御遺族の方がたの御清福を哀心より祈念いたしまして式辞といたします。
平成四年五月一日
水俣市長 岡田稔久
水俣病患者代表 「祈りの言葉」
我々日本人は、戦後貧困から脱出するため、高度経済成長、所得倍増、生活向上とめまぐるしく急成長を遂げてきました。その家庭でチッソ工場の排水によって海は汚され、有機水銀に汚染された魚介類を食べた猫が狂い死にし、人間達も数多くの生命を失ったのです。この悲惨な出来事は世界でも例を見ない程の大規模な被害です。漁師にとって海は母でありまた海にとって漁師は子供でもありました。
すばらしい雄大な自然とともに暮してきた漁師、また漁師だけでなく多くの人々が魚釣をし潮干狩を楽しみ海の幸を満喫した者です。
それが死の海となり死の母となり今、尚水俣湾では魚貝類を取って食べることは出来ません。本当に残念でなりません。
ここに水俣病で亡くなられた方々を思いうかべる時、狂い死にしのたうち廻って亡くなられた方また何の罪もない胎児性患者が生れると言う、言葉では言いあらわせない悲しい出来事が沢山あります。水俣病が公式に発表されたのは昭和三十一年五月一日。それから三十六年目にして全市民でお祈りを捧げることは犠牲者に対する理解の一歩かと思います。私達はこの水俣病犠牲者慰霊式を今後二十一世紀に向けて、絶対に自然を汚染しない、破壊しない、二度とこんな悲惨な被害は繰り返さないよう深く反省すると共に、新な地球環境再生へむけて公害の原点と位置づけし、五月一日を水俣病祈念日として、生きとし生ける者すべての生命の鎮魂のために未来に伝えいくことをお誓いして、亡くなられた犠牲者の方々の御冥福をお祈りいたします。
平成四年五月一日
水俣病患者代表 濱元二徳
水俣病犠牲者遺族代表 「祈りの言葉」
水俣病犠牲者の遺族を代表し、水俣病犠牲者の御霊に安らかに眠りあれと祈りを捧げます。
もう、あのようないたみや業苦はないことでしょう。心安らかにお眠り下さい。
親や子供、兄弟、親戚をわたしたちは水俣病で亡くしました。
昭和三十年頃、突如として襲ってきた病気のためはずかしめられ、いわれなき仕打ちを受け、言葉に言い表せない苦しみと痛みを残しながら次々と亡くなっていきました。
身体を痙攣させ、声にならない声を叫びながら亡くなっていきました。誠に無念のきわみであります。
振り返ってみると、あの時ああすればよかった、こうすれば良かったと悔やまれてなりません。
水俣病は私たちの命や健康だけでなく、そして魚だけではなく古き良き水俣とその暮らしをも破壊してしまいました。
水俣病の発生が公式に発見されて以来十有余年を経過して、ようやく公害病に認定され、今日まで苦難の三十六年の月日がたっているにもかかわらず、まだ全面解決が困難な状態では犠牲になられた御霊が浮かばれません。
何のための尊い犠牲だったのでしょうか、水俣病の犠牲で得た貴重な教訓とは一体何だったかを強く訴えたいと思います。
我々の身体を蝕、水俣のよき時代を破壊し、人間の命と健康を引き換えにしてまできぎょうの活動は成り立つことは許されないということを強く訴えたいと思います。
いろいろと悔やまれてなりませんが、今、過去の過ちを反省し、これからの水俣への教訓にしていこうという動きが出てまいりました。
水俣病で亡くなられた尊い命、わたしたちの替わりに犠牲となられたあなた方の死が無駄でなかったと言えるよう、これからの水俣への教訓となっていくことを確信しています。
ここに参列している多くの方々と共にあなた方の天の声が全ての市民に届くようお祈りします。
わたしたち遺族は、身を犠牲にして訴えられた苦しみと痛み、そしてこんなことは二度とあってはならないという思いを後々まで伝え続け、世界に類例のない水俣病の悲劇を人類が二度と繰り返さないことを誓い御霊に捧げる言葉といたします。どうぞ安らかにお眠りください。
平成四年五月一日
水俣病犠牲者遺族代表 石田勝
もう、あのようないたみや業苦はないことでしょう。心安らかにお眠り下さい。
親や子供、兄弟、親戚をわたしたちは水俣病で亡くしました。
昭和三十年頃、突如として襲ってきた病気のためはずかしめられ、いわれなき仕打ちを受け、言葉に言い表せない苦しみと痛みを残しながら次々と亡くなっていきました。
身体を痙攣させ、声にならない声を叫びながら亡くなっていきました。誠に無念のきわみであります。
振り返ってみると、あの時ああすればよかった、こうすれば良かったと悔やまれてなりません。
水俣病は私たちの命や健康だけでなく、そして魚だけではなく古き良き水俣とその暮らしをも破壊してしまいました。
水俣病の発生が公式に発見されて以来十有余年を経過して、ようやく公害病に認定され、今日まで苦難の三十六年の月日がたっているにもかかわらず、まだ全面解決が困難な状態では犠牲になられた御霊が浮かばれません。
何のための尊い犠牲だったのでしょうか、水俣病の犠牲で得た貴重な教訓とは一体何だったかを強く訴えたいと思います。
我々の身体を蝕、水俣のよき時代を破壊し、人間の命と健康を引き換えにしてまできぎょうの活動は成り立つことは許されないということを強く訴えたいと思います。
いろいろと悔やまれてなりませんが、今、過去の過ちを反省し、これからの水俣への教訓にしていこうという動きが出てまいりました。
水俣病で亡くなられた尊い命、わたしたちの替わりに犠牲となられたあなた方の死が無駄でなかったと言えるよう、これからの水俣への教訓となっていくことを確信しています。
ここに参列している多くの方々と共にあなた方の天の声が全ての市民に届くようお祈りします。
わたしたち遺族は、身を犠牲にして訴えられた苦しみと痛み、そしてこんなことは二度とあってはならないという思いを後々まで伝え続け、世界に類例のない水俣病の悲劇を人類が二度と繰り返さないことを誓い御霊に捧げる言葉といたします。どうぞ安らかにお眠りください。
平成四年五月一日
水俣病犠牲者遺族代表 石田勝
熊本県知事 「祈りの言葉」
水俣病公式発見から三十六年目を迎える本日、ここに水俣病により亡くなられた方々のご遺族、患者の皆様をはじめ、多くの市民の皆様、関係各位の御臨席を得て、慰霊式が挙行されるにあたり、熊本県を代表して一言祈りの言葉を申し上げます。
産業公害の原点と言われる、水俣病が公式に発見されてから長い日時が経過いたしましたが、その間水俣病により亡くなられた方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。
また、そのご家族ご親戚の皆様方や、今なお水俣病に苦しんでおられる方々に対しましても心からお慰め申し上げます。
今、かつては水銀ヘドロの海であったこの広大な埋立地に立って、追悼の式にのぞみ、無量の感慨を覚えております。
思えば三十六年前、戦後我が国の経済復興の過程で、不幸にしてこの地で発生した水俣病は、人間の生命や健康はもとより色々な苦悩を地域社会全体にもたらしており、このようなことに想いをいたしますとき、忘れるこのできない深い悲しみの情を禁ずることができません。
水俣病の発生以来、県といたしましては、患者の方々への補償救済や環境の復元、そして、地域並びに環境の再生のために国や地元水俣市などとともに、精一杯の努力を行って参りましたが、今なお水俣病問題の解決を見ていないことは大変残念であり、多くの混乱が引き続いている経過をかえりみて、素直に心から遺憾の意を表します。
この間に、地域社会では、種々紆余曲折がありましたが、そうした中で水俣病患者さん方を含めた水俣市民の方々によって、本日の慰霊式が、実に二十四年ぶりに実施されることは、水俣病問題について市民患者及び関係者の皆様方の早期解決を願う大きな声の表れと受けとめております。
県といたしましては、水俣病がもたらしたいろいろな影響を深く認識し、かつ大きな犠牲によって得られた経験を謙虚にふまえて、また、本日ご参列いただいた皆様方のご理解ご協力を得ながら、なお残されている患者救済問題をはじめ、患者さん方の生きがいや地域の再生を含めた水俣病問題が早期に解決できますよう引き続き全力を挙げて取り組んで参りたいと思います。
また人間社会全体で受けとめるべき水俣病の教訓を、全世界に着実に伝えていくことが熊本県としての責務であると痛感しております。
これらのことが、犠牲となられた方々にこたえると同時にかけがえのない肉親を亡くされた方々、現在もいろいろな苦しみを抱えておられる方々の想いに報いる道であると信じております。
ここに重ねて水俣病により亡くなられた方々のご冥福を心から祈念しつつ、私の祈りの言葉といたします。
平成四年五月一日
熊本県知事 福島譲二
産業公害の原点と言われる、水俣病が公式に発見されてから長い日時が経過いたしましたが、その間水俣病により亡くなられた方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。
また、そのご家族ご親戚の皆様方や、今なお水俣病に苦しんでおられる方々に対しましても心からお慰め申し上げます。
今、かつては水銀ヘドロの海であったこの広大な埋立地に立って、追悼の式にのぞみ、無量の感慨を覚えております。
思えば三十六年前、戦後我が国の経済復興の過程で、不幸にしてこの地で発生した水俣病は、人間の生命や健康はもとより色々な苦悩を地域社会全体にもたらしており、このようなことに想いをいたしますとき、忘れるこのできない深い悲しみの情を禁ずることができません。
水俣病の発生以来、県といたしましては、患者の方々への補償救済や環境の復元、そして、地域並びに環境の再生のために国や地元水俣市などとともに、精一杯の努力を行って参りましたが、今なお水俣病問題の解決を見ていないことは大変残念であり、多くの混乱が引き続いている経過をかえりみて、素直に心から遺憾の意を表します。
この間に、地域社会では、種々紆余曲折がありましたが、そうした中で水俣病患者さん方を含めた水俣市民の方々によって、本日の慰霊式が、実に二十四年ぶりに実施されることは、水俣病問題について市民患者及び関係者の皆様方の早期解決を願う大きな声の表れと受けとめております。
県といたしましては、水俣病がもたらしたいろいろな影響を深く認識し、かつ大きな犠牲によって得られた経験を謙虚にふまえて、また、本日ご参列いただいた皆様方のご理解ご協力を得ながら、なお残されている患者救済問題をはじめ、患者さん方の生きがいや地域の再生を含めた水俣病問題が早期に解決できますよう引き続き全力を挙げて取り組んで参りたいと思います。
また人間社会全体で受けとめるべき水俣病の教訓を、全世界に着実に伝えていくことが熊本県としての責務であると痛感しております。
これらのことが、犠牲となられた方々にこたえると同時にかけがえのない肉親を亡くされた方々、現在もいろいろな苦しみを抱えておられる方々の想いに報いる道であると信じております。
ここに重ねて水俣病により亡くなられた方々のご冥福を心から祈念しつつ、私の祈りの言葉といたします。
平成四年五月一日
熊本県知事 福島譲二
チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」
本日、ここに水俣病犠牲者慰霊式が行われるにあたり、謹んで御霊の安からんことをお祈り申し上げます。顧みますれば、当社は八十有余年前この水俣の地に創業し、以来一貫してこの地を基盤として事業を進め、地域の皆様方に支えられ、地域とともに歩み続けてまいりました。
当社の今日あるのは偏に地域の皆様方のお蔭であると言っても過言ではありません。
しかるに、まことに申し訳ないことであり、残念なことでありますが、当社の過失によって水俣病を発生させ、地域の皆様方に多大のご迷惑をお掛けし、あまつさえ犠牲者までお出ししたことは、まことに痛ましく当社としても痛恨の極みであります。
ここに改めて哀心よりお詫び申し上げますとともに、御霊の安からんことを謹んでお祈り申し上げます。
当社といたしましてはこのことを深く心に刻み、厳しい反省のうえに立って、二度と公害問題でご迷惑をお掛けしないということを強い決意を持ってお誓いいたします。
現在、当社は依然として厳しい局面に立たされておりますが、幸い地域の皆様を始め、国、熊本県その他ご関係先の暖かいご支援を得て懸命の経営努力をいたしまして、徐々にではありますが、状況は好転しつつあります。
当社といたしましては、再び公害を発生させないという決意のもと、今後とも全社員が一丸となって水俣病補償の完遂と地域の発展に努めることが、皆様のご支援にお応えし、また御霊をお鎮めする最善の道と信じております。
このことを肝に命じ、なお一層の努力を尽くすことをチッソ株式会社を代表してお誓いし、お祈りの言葉といたします。
一九九二年五月一日
チッソ株式会社 常務取締役水俣本部長 竹下國幸
県議会代表 「祈りの言葉」
本日ここに、水俣病犠牲者慰霊式が挙行されるに当たり、亡くなられた多くの方々に対し県議会を代表して謹んで慰霊の言葉を申し上げます。皆様方には、水俣病の犠牲者として尊い命を落とされたのです。誠に痛恨の極みでございます。ご遺族、ご親戚の方々のお悲しみご苦労は筆舌に尽くせないものと存じます。心からおくやみを申し上げます。
また、現在病気と闘っておられる患者の皆様をはじめ、いろいろな面で影響を受けておられる方々など、水俣病でお苦しみのすべての方々に、心からのお見舞いとお慰めの言葉を申し上げます。
私ども、県議会といたしましては、水俣病発生以来、今日まで問題解決に取り組んでまいりましたが、公式発見から三十六年が経過した今なお全面的な解決にいたっておりません。このことを、大変遺憾に思います。
きょう五月一日は水俣病公式発見の日です。この慰霊式に参列していますと、ご遺族の方々をはじめこの式にご参列に皆様方の、早期解決を願っておられる思いが切々と伝わってまいります。患者の皆様方の救済、損なわれた環境の蘇生、復元、地域の再生など水俣病問題の全体的解決に向けて今後一層力を尽くしてまいりたいと思ってます。大
きな犠牲によって得られた貴重な経験をもとに、患者の皆様方をはじめ、地元に皆様方と心をあわせて安心して住める豊かで明るい地域づくりに精進してまいりたいとおも
います。
最後に、今一度亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げて祈りの言葉とします。
平成四年五月一日
熊本県議会議長 古閑三博
市議会代表 「祈りの言葉」
本日ここに、水俣病犠牲者慰霊式が御遺族を初め関係の皆様の多数の御臨席のもと厳粛にとり行われるに当たり犠牲となられました皆様の御霊に対し謹んで哀悼の誠をささげます。人の健康被害と環境破壊の深刻さにおいて、かつて世界に類例を見ないと言われる、この水俣病によってこれまで多く尊い命が失われました。
水俣病公式確認から三十六年を迎え、ようやく水俣病に対し理解が深まりつつありますが、これに至るまで患者さんが受けられた、いわれなき差別、偏見、中傷は肉体的苦痛以上の苦しみであったろうと存じます。無念のうちに亡くなっていかれた患者さんは言うに及ばず、最愛の御肉親を失われた御遺族の御心痛をお察しするとき、痛恨の情が切々として胸に迫るを禁じ得ません。
また病床において、いまなお苦しんでおられる患者の方々と介護に当たっておられる御家族に対し心からお見舞いを申し上げる次第であります。
水俣病の発生は健康被害、環境破壊だけにとどまらず市民間に根深い不信感を生み、市民生活にも深刻な影響を与えましたが、今後はこのもつれた糸を解きほぐし市民の心を一つにし、患者さんの早期救済を初め諸問題の解決に努めなければならないと思っております。
いま、地球規模の環境破壊が問題となっておりますが水俣が経験した尊い教訓を生かし世界の国々で悲惨な公害が二度と再び起きないよう、世界にアピールしていくことが犠牲者の慰霊となり、また水俣に課された責務であると存じます。
私たちは、水俣病で犠牲となられた方々のことを寸時も忘れることなく、過去の反省を肝に銘じ、本日を期にさらに心を新たにし、公害のない平和で豊かな水俣を築くためより一層の努力をいたすことをお誓い申し上げます。
ここに御霊の御冥福を祈りあわせて御遺族の御健勝を心から祈念いたしまして祈りの言葉といたします。
平成四年五月一日
水俣市議会副議長 江口和幸
実行委員長 「祈りの言葉」
水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるに当たり、水俣病の発生によって犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。本日は、御遺族の方々、環境庁、県選出国会議員、福島熊本県知事、古閑熊本県議会議長、関係機関及び近隣市町村の皆様方、並びに市民多数の御臨席を賜りまして誠にありがとうございます。
心から厚く御礼を申し上げます。
水俣病は、戦後復興期の生産優先の風潮の中、昭和二〇年代後期頃から急速な経済成長が続いていた時期に、人の健康被害と環境破壊の深刻さにおいて、かって世界に類を見ない悲惨な公害病であります。
原因不明の病気の発生に市民の間では、一時、恐怖と混乱を来たし、暗い翳りとなり、水俣の苦悩が始りました。
思えば、水俣病の公式発見以来、「原因究明」「公害病認定」「三次にわたる水俣病訴訟」並びに、「水俣湾公害防止事業」などいろいろな曲折を経て、既に三十六年の長い歳月が経過しました。
この間、水俣病をめぐる社会状況は極めて厳しいものがあり、当初は奇病といわれ、伝染病と疑われ、患者の方々は、いわれなき偏見や差別、精神的、肉体的苦痛など、言い尽せぬ苦難を味あわれたことと存じます。
水俣病の犠牲となり亡くなられた患者さんの無念の思いと、一家の柱とも頼む働き手を失い、苦しい生活を強いられたご家族や、いとしい肉親を亡くされた悲しみなど、御遺族の御心中をお察ししますと、万感胸に迫り痛恨のきわみであります。
また、いまもなお病に苦しんでおられる患者の方々と、日々介護にあたられる御家族に対し心からお見舞いを申し上げる次第でございます。
水俣市も、水俣病がもたらした広範な被害と、計り知れない影響に苦しみながら、その貴重な教訓をふまえ、国、県など関係機関の特別の御支援を賜りながら、環境の再生に取り組んでいるところであります。
更に、環境問題が地球の存亡に関る人類最大の課題として認識されつつある現在、水俣が体験した教訓を広く世界に情報発信することによって、産業公害への警鐘とすることは、公害の原点といわれる水俣こそができる、世界への貢献策であると考えております。
私たちは、再び過ちを繰り返さないという決意を新たにし、犠牲となられた方々を忘れることなく、過去の反省に立って、環境や自然、生態系に配慮した地域づくりと、水俣病問題の早期解決のため、市民一体となり、なお一層の努力を積み重ねてまいる所存であります。このことが、お亡くなりになった方々に報いることになり、御霊をお慰めすることになると信じている次第であります。
ここに、犠牲者の方々の御冥福を心からお祈りし、併せて御遺族のお方々の御清福を哀心から祈念いたしまして、祈りのことばといたします。
平成四年五月一日
水俣病犠牲者慰霊式実行委員会委員長 山口 栄