施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271


※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成28年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉

祈りの言葉(患者・遺族代表)大矢ミツコさん



水俣市長式辞

平成28年度 水俣病犠牲者慰霊式 市長式辞

 本年、水俣病公式確認から六十年目の年を迎えました。あらためて水俣病で亡くなられたすべての御霊(みたま)が、安らかならんことをお祈りし、哀悼のまことを捧げるとともに、水俣病のような惨劇を二度と繰り返さないことを強く誓います。

 なお、本日の水俣病犠牲者慰霊式を挙行するにあたり、御遺族をはじめ、水俣病患者・被害者団体の皆様、山本環境大臣、蒲島熊本県知事、国会議員、県議会議員の皆様、近隣の市町村長、また多くの市民の御臨席を賜り、水俣病犠牲者への慰霊と祈りを捧げていただきますことに、心から厚く御礼申し上げます。

本年四月、震度七というこれまで経験したことのない大地震が熊本県で発生いたしました。関連死も含めますと百名を超える方が犠牲になり、多くの方も負傷されました。犠牲になられた方々に対し、心からお悔みを申し上げますとともに、被災され、今なお不自由な生活を送っておられる方々に、お見舞い申し上げます。

水俣病犠牲者慰霊式は、これまで水俣病の公式確認の日である五月一日に毎年行っておりました。しかし今年は、慰霊式直前の約半月前に熊本地震が発生し、本市においても震度五弱を経験いたしました。そこで、水俣病犠牲者慰霊式実行委員会の皆様と協議し、慰霊式への参列者の安全面等を考慮し、本日に延期した次第であります。

水俣病は、今年で公式確認から六十年を迎えました。六十年前、不知火海周辺では、水俣病が起こり、多くの方々亡くなられ、被害にあわれました。生活の糧となっていた海は汚染され、漁業関係者をはじめ、水俣病のために職を失った人もたくさんおられます。水俣病と熊本地震は、その被害発生の原因こそ違いますが、地域で暮らしている住民の命や生活を奪い、環境を破棄するなど長きにわたり大きな被害を及ぼしました。

あれから六十年という歳月が流れましたが、過ぎ去った日々の重さを考えずにはいられません。私たちはこのことを深く心に刻みながら、水俣病のこれまでの歴史を振り返り、今を生きる我々が何をすべきか考えなくてはいけない時期ではないかと思います。

まず、今を生きる私たちの使命の一つは、水俣病を知り、学び、犠牲になられた方々を思い、慰霊することであります。本日もこのようにたくさんの方々に慰霊式に参列いただき、祈りを捧げていただいております。熊本県知事の御配慮もあり、次世代を担う多くの子ども達が水俣を訪れ、人権や環境問題を含む水俣病問題について学習していただいております。併せて、ここエコパークの水俣病慰霊碑に折鶴を手向け、慰霊していただいていることに、日頃から大変感謝しているところであります。

また、私達のもう一つの使命は、これまで六十年余りの水俣病の歴史をしっかりと受け止め、その教訓を現在・将来に活かし、次の世代にしっかりと引き継いでいくことであります。

水俣病発生当時、その原因も分からず、対策も分からず、治療方法もなく、地域住民は大混乱の渦に巻き込まれました。当時、同じ家族の中、あるいは同じ地域に多くの患者が発生いたしました。そのことが水俣病は伝染病という誤った情報につながり、世間に拡大し、差別・偏見につながる一因となりました。その後の調査研究等で、水俣病が伝染病でないことが判明しましたが、その情報がもっと強く周知・報道されるべきだったと思います。

そこで、水俣市は、情報発信の重要性を強く認識し、二度と水俣病のような悲惨な公害病を繰り返さないよう、平成五年に水俣病資料館を設置し、語り部をはじめ水俣病患者・家族の御協力をいただきながら、国内外に向けて情報発信を行って参りました。

その資料館は、オープニング以来二十年余りが経過し、本年、展示内容を全面的に見直し、リニューアルいたしました。今後も引き続き、水俣病に関する情報発信、水俣病学習、人権学習等を推進してまいります。展示物等については、そのような取り組みが推進されるよう、今後も定期的に見直しを行うとともに、改善を図ってまいります。

また、二○一三年十月、水俣市で「水銀に関する水俣条約外交会議」が開催され、三年が経過しました。本市としましては、水俣条約が一日も早く発効され、水銀による環境被害、健康被害が起こらない世界になることを切に願うばかりです。

さらに今年は、水俣高校の跡地を活用して「水俣環境アカデミア」がオープンしました。

水俣環境アカデミアは、「知の拠点」として、地域及び国内外の産学官民を有機的に「つなぐ」ことにより、新たな「知」を創造・発信しながら、「持続可能で誰もが豊かになれる共有社会」の実現を目指すことを、理念としています。この施設を活用し、研究活動の誘致・提案、人材育成、地域の活性化につなげ、未来への資産として引き継いでいきたいと思います。

私達は、水俣病を経験したまちとして、その経験を踏まえた環境モデル都市日本の環境首都として、その取り組みを今後も推進していくことをここにお誓い申しあげます。

最後に、水俣病で犠牲になられたすべての生命に、改めて心から祈りを捧げ、式辞といたします。

 

平成28年10月29日   

                          水俣市長 西田 弘志



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水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」

            祈りの言葉

ここに、患者・遺族代表として、祈り言葉を捧げます。

 あれから、もう六十年もたったのですね。津奈木町から十八歳で明神に嫁いで、私は初めて、漁師の暮らしぶりを知りました。

 「かまど」で焼いたイワシのおいしさは、今も忘れません。
 その時は、主人と主人の両親が水俣病でうばわれるとは、夢にもおもいませんでした。

 二芳さん覚えていますか。あなたは昭和二十九年頃、チッソの勤めで忙しい時だったですね。職場の人たちと音楽や、演劇を楽しんだり、組合のことにも、熱を入れていました。

 そんなあなたが、急に「口の回りが、もやもやすっと、手足がふるえて、力が入らん。」と言い出して、私はびっくりしました。
 
 すぐにチッソの附属病院に行きましたよね。「何の病気かわからん」と言われて、雨が降るなか、熊本の大学病院まで、言ったのを覚えていますか?結局は大学病院でもわからずじまいでしたね。

 チッソの附属病院に入院した時の担当は三隅先生でした。
 はっきりとした病名はなく、ペニシリンやビタミンの注射をしてもらいました。


 私は栄養をつけるのが一番だと思って、病院で、魚をこしらえて食べさせていました。今、思うと、わざわざ毒を食べさせていたのと同じだったのです。

 それでも、入院している間は、しょっちゅう魚を食べなかったからでしょうか?退院できることになり喜んでいましたね。忘れもしません。昭和三十一年五月二十八日に退院して川内の西方温泉に湯治に行きました。ずっとそこにいれば、命は助かっていたかもしれないのに、ひと月位で明神に帰ってきました。

 もともと大好きな魚が、目の前で獲れるから、元気になるように、またいっぱい食べたですね。

くやしいのは、「魚は絶対食べたらいかん」と教えてもらえなかったことです。あのような、恐ろしいケイレンがきて、ばたばた暴れるし、立つことも、歩くこともできんようになって、最後には言葉も何も出らんようになったですね。あの時、長男の芳昭の赤白帽子を胸にしっかり抱きしめて泣いていましたね。

 それからあなたの命は、わずか二十日でした。まだ三十八歳になったばかりで、病気の名前も原因も知らないでさぞかし、無念だったでしょう。

 まだまだ仕事もして、やりたいこともたくさんあったのでしょう。
 葬式には、職場の人たちも、たくさん来てくれて、別れを惜しんでくれました。

 
私の人生はあれから、がらっと変わりました。あなたが亡くなって、ひと月が経ったころでした。じいちゃんまで、同じ病気になって、看病の毎日がやってきました。私は三十歳になったばかりで、慣れないことだらけでした。
 
 その頃は補償金もないし、仕事の経験もなかった私が、家族六人を養っていくしかなかったです。漁をしたり、西松建設で、男の人にまじって力仕事でした。
 
 昭和三十四年頃に、大きな浄化槽を造りにチッソにも行きましたよ。後でそれが、「サイクレーター」だったと聞いて驚きました。水俣病患者家庭互助会の人たちと、チッソの前に座り込んだ時は、複雑な気持ちでしたよ。チッソはあの時に、ちゃんと謝ってくれればよかったのにと思います。あなたは、人の先頭に立って闘う人だったから、後で裁判が始まった時も、本当は皆と一緒に頑張りたかったのでしょう。 

 何よりも辛かったのは、癌で死んだ、長男の芳昭のことです。「これから、父ちゃんの分まで働いて、かあちゃんば楽にせんばいかんとに。くやしか!死なんばならんとやろか。」って、癌と闘いながら苦しい中、家族の心配をしとったんです。

その時だけは、私はくやしかった。とうちゃんが水俣病で死んだりせんやったら・・と思いと、チッソが憎らしかった。大学生なったばかりの、芳昭の背中をさすりながら涙がとまりませんでした。

 私も九十歳を迎えました。水俣病がって苦労もいっぱいありました。私のような、悲しみは、もう誰にも、してほしくありません。同じ水俣の中で、いがみ合ったり、するような苦しみはもう嫌です。

チッソは、主人に本当に「すまなかった」と思うなら、逃げたりしないで、水俣病のことを、ちゃんと伝えて欲しいです。主人たちの命を無駄にしないような会社になって欲しいです。

 あれから六十年、そちらで、あなたに会える日もそう遠くないと思います。そのときは、ゆっくり話しましょう。

 
どうぞ、これからの世の中が、安心して暮らせますようにお守りください。犠牲になられた皆様、安らかにお眠りください。

                  平成281029日    

          患者・遺族代表  大矢 ミツコ




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児童・生徒代表 「祈りの言葉」

            児童・生徒代表「祈りの言葉」

 今年、水俣病は公式確認から六十年を迎えました。六十年がたった今でも、水俣病で苦しんでいる方々がいらっしゃいます。六十年の間に奪われてしまった空白の時間や絆が、今もなお、苦しい記憶として残っているのです。

 
しかしその一方で、水俣病が起こってしまった当時の記憶がだんだんと薄れてきていることも事実です。この水俣に生まれて育った私達には、水俣病について正しく理解し、次の世代に伝えていく責任があります。

 私達は小学生の頃から水俣病について学んできました。五年生の時のひごっこ教室や、中学一年での水俣条約一周年フォーラム、そして昨年参加した水俣病犠牲者慰霊式などです。そこでは実際に被害に遭われた方の話を聞いたり、水銀について考える場面がありました。その他、水俣病にまつわる差別や偏見、さらには水銀被害が現在も世界各地で起きていることなどを知りました。その中で私の心に残ったのは、一番つらい時に支えになったのは家族だったということです。さまざまな事を学んできた私達は、その時の家族のように水俣病の被害に遭われた方の支えになり、絆となっていかなくてはなりません。そのためには、私達に何ができるのかを考え続ける必要があります。中でも、身近な環境を守り続けるという強い意志を常に持つことが大切です。

 私達の学校では今、学校版環境ISOに取り組みんでいます。水や電気を無駄にせず、地域の自然を大切にしようという活動です。しかし豊かな自然に恵まれ、温かな地域の応援を受けて学校生活を送っている私達は、この水俣の豊さは、天から授けられた以上に、地域のつながりや絆をもやい直そうと努力されてきたから、今ここにあるということを、しっかりと覚えておく必要があります。

 水俣病の被害に遭われながら何事も前向きに一生懸命生きてこられた水俣病患者の皆さんを、私は心から尊敬します。その生き方や水俣の歴史から学んだ教訓を胸に、過ちを繰り返さず、豊かな水俣の自然を守り、さらに人の心が通い合った素晴らしい街にしていくことをここに誓い、祈りの言葉といたします。

                       平成28年10月29日
                         水俣市立緑東中学校 淵上 香奈

 


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環境大臣 「祈りの言葉」

 祈りの言葉を申し上げる前に、4月に発生した熊本地震によりなくなられた方々の御冥福をお祈りするとともに、御遺族の皆様様にお悔みを申し上げます。また、被災された全ての方々にお見舞いを申し上げます。

 一日も早い復旧、復興をお祈りするとともに、引き続き、国としても全力で支援してまいります。

 平成28年度水俣病犠牲者慰霊式に当たり、「祈りの言葉」を申し上げます。

 公害の原点ともいうべき水俣病の公式確認から60年を迎えるに当たり、水俣病によって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。

 また、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりなられた方々、その御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯です。

 
ここに、政府を代表して、水俣病の拡大を防げなかったことを、改めて衷心よりお詫び申し上げます。

 公式確認から60年を迎える本年は、発生当初、未知の問題として現れた水俣病に対し、多くの先人達の多大な努力により、様々な難題を一つずつ乗り越えてきたという歴史の重みの上にあります。

 水俣病問題への取組の歩みは今なお道半ばでありますが、水俣の地でなされている
 ・環境や健康にこだわった安全・安心なもづくり
 ・郷土水俣を誇れる人材を育てる人づくり
 ・地域内外の様々な人材が織り成す地域づくり
といった一つ一つの確かな取組こそが、甚大な公害を経験した地域の再生への道を拓き続けることと確信しております。

 国としても、ご高齢になられていく患者やご家族の皆様が、その人らしい人生を過ごされるように支援を行っていくなど、責任を持って水俣病問題に対して取り組んでまいります。そして、関係地方公共団体と連携しながら、地域の皆様が将来にわたって、安心してくらしていける社会を実現するために、引き続き全力を挙げていくことを、ここにお誓い申し上げます。

 また、水俣病を経験した我が国だからこそ、世界のいかなる国においても水俣病のような公害が繰り返されることのないよう、水俣病の教訓を世界に発信するとともに、世界の水銀対策をリードしていくことが重要であります。

 本年2月には、ここ水俣の地名を冠した「水銀に関する水俣条約」を締結したところです。今後は、条約の早期発効及び効果的な実施のため、途上国を中心とした各国との協力を推進してまいります。

 国として、地方公共団体、事業者、国民の皆様とともに、公害のない、持続可能な社会の実現に向けて、また、恵み豊かな自然環境を保全し、将来に継承していくため、全力で取り組んでいいくことを、ここ水俣の地においてお誓い申し上げます。

 最後に、改めて、水俣病の犠牲となりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、私の「祈りの言葉」とさせていただきます。




                                     平成28年10月29日

                                               環境大臣 山本 公一



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県知事 「祈りの言葉」


 本日ここに、水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるにあたり、水俣病で尊い命を失われた方々の御霊に対し、全ての熊本県民とともに、謹んで哀悼の意を表します。

今年は、水俣病が公式に確認されてから六十年となります。

 今、この慰霊碑の前に立ち、静かに思いを巡らせると、かつて「豊饒の海」と呼ばれた海原の上に自分が立っているかのような感覚を覚えます。

その豊かな海が汚染され、多くの命が失われました。地域は分断され、今なお被害者と御家族の苦しみは続いています。

 
水俣病の被害が拡大することを妨げず、熊本県知事として、改めて衷心よりお詫び申し上げます。

 
また、六十年という長きに亘り、この問題が解決されていないという現実を前に、私は、言い表しようのない悔恨の念を抱いております。

 さて、今年も、五月一日にこの地を訪れることとしておりましたが、その直前に、本県は、未曽有の地震に襲われました。

 この場をお借りして、熊本地震により尊い命を失われた方々の御冥福をお祈り申し上げるとともに、被害に遭われた全ての方々にお見舞い申し上げます。

 
地震発生以降、県では、人命救助に取り組み、被災者の支援をはじめ復旧、復興に全力を尽くして参りました。私は、責任ある立場にある者として、「県民の生命と健康を守るため、その時々で考えられる有効な対策を速やかに決断し、実行する必要ある」という、水俣病の教訓に深く思いを致しながら、日々の対応にあたって参りました。

 また、熊本地震によって、私は、日々、安心して生活できることがいかに大切であるかを改めて深く認識いたしました。

 私が初めて慰霊式に出席した八年前、被害者の方々の早期救済はもとより、この地域に住まう誰もが、生き生きと暮らすことのできる社会の実現に向けて、全力を挙げて取り組むことをお誓い申し上げました。その思いは、一刻も揺らいだことはなく、熊本地震を経験し、益々強くなっております。

 これからも、水俣病問題の解決を県政の最重要課題として、様々な取組みを推進して参ります。

 
まず、公健法に基づく水俣病の認定審査については、昨年七月に県の認定審査会を再開しました。再開後、定期的に審査を進めており、平成二十五年四月の最高判決を最大限尊重し、丁寧に、そして着実に審査を積み重ねております。

 県としては、被害にあわれた方の迅速な救済に向け、これまでに認定申請をされている方々については、この四年間に審査を完了できるよう、今後、さらに認定審査業務の加速化を図り、審査完了に向けて最大限の努力を続けて参ります。

 また、この六十年は、胎児性・小児性患者などの方々や、その介護に生涯をささげられた御家族の方々にとって、計り知ることができない御苦労や思いの人生であったと拝察いたします。

 
私は、その御苦労や心配事を多少なりとも和らげるため、二十四時間介護をはじめとする在宅福祉や社会参加事業の充実、明水園の個室化、家族棟の整備等の支援に取り組んでまいりました。

 今後も、患者の皆様と御家族の声を直接うかがい、国や関係市町、地域の方々とともに皆様に寄り添う、福祉の充実を図って参ります。

 さらに、六十年という歳月により、水俣病の経験や教訓を、次の世代に語り継ぐことが難しくなってきております。

 このため、県としても、語り継ぐ方法等を皆様と共に考え、国内外に発信し続けて参ります。また、国や水俣市等と連携し、水俣病を経験したからこそ可能な、環境教育・研修の充実に取り組んで参ります。

 併せて、「水銀に関する水俣条約」の早期発効に向け、本県独自の「水銀フリー社会」の実現に向けた取組みも進めて参ります。

 そして、三十六年の蓄積を踏まえて策定した、「第六次水俣・芦北地域振興計画」に基づくき、関係市町と連携のうえ、産業振興や雇用拡大等の充実を図って参ります。

 私にとって、この慰霊式の日は、水俣病問題に真摯に向き合うという、自分の思いを確認する日でもあります。

 
これからも、熊本県は、私を先頭に、水俣病問題の解決に向けて、全力で取り組むことをお誓い申し上げます。

 結びにあたり、改めて水俣病犠牲者の方々の御冥福を心からお祈り申し上げ、私の「祈りの言葉」といたします。

                                   平成28年10月29日

                                          熊本県知事 蒲島 郁夫




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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」

 本日、ここに、水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるにあたり、謹んでお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様方に対しまして心より哀悼の意を表します。

 当社は、この水俣の地で創業以来、107年に亙り水俣市及び周辺市町村の皆様に支えられ地域とともに歩んでまいりました。

 しかしながらこの間に、当社の工場廃水に起因して水俣病を惹き起こし、多くの方々が犠牲になられましたこと、地域の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことは、まことに痛恨の極みであり、改めましてここに衷心よりお詫び申し上げます。

 当社は、これまで患者の皆様に対する補償責任の完遂を経営の至上命題に掲げ必死の努力を重ねてまいりました。

 お蔭様で、事業会社であるJNCは、スタートして5年が経ち、順調に業績を上げてまいりましたが、ここに来て中国経済、大幅な原油安による資源国景気の減速、また、足下で進む円高など、取り巻く環境は大変厳しいものがあります。

 このような経済環境ではありますが、主力工場である水俣製造所においては、水俣病の反省に立ち、常に環境・安全に配慮した「世の中に役立つものづくり」を行っており、加えて温室効果ガスを排出しない水力発電所のリニューアル化にも取り組んでおります。そして、このことが収益基盤を強化し、患者補償責任の完遂と地域社会の発展に貢献できるものと思っております。

 そして、患者の皆様が安心して暮らしていけますよう、関係自治体が検討される必要な施策にも協力してまいる所存であります。

 これからのことが犠牲となられた方々の鎮魂のため、また、国・県ほか関係各位及び地域の皆様からお寄せ頂いているご支援に応えるための当社の歩む道であり、これからも、なお一層の経営努力を重ねてまいりますことをここにお誓いし、祈りの言葉といたします。

                平成28年10月29日

                 チッソ株式会社 代表取締役社長 森田 美智男



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