施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271


※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成27年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉

祈りの言葉(患者・遺族代表)杉本肇さん



水俣市長式辞

平成27年度 水俣病犠牲者慰霊式 市長式辞

 水俣病犠牲者慰霊式を挙行するにあたり、水俣病の発生によって犠牲となり、尊い生命(いのち)を失われた方々の御霊に対し、謹んで哀悼のまことを捧げますとともに、本日の慰霊式にご臨席いただきました、ご遺族や被害者の皆様に対しまして、心から御礼申し上げます。

また、望月環境大臣、蒲島熊本県知事をはじめ、国会議員、県議会議員、市議会議員、近隣市町の皆様、並びに多数の市民の皆様のご臨席を賜り、重ねて御礼申し上げます。

さて、今年は戦後70年という節目の年を迎えました。日本中の人々が平和で豊かな暮らしを一刻も早く取り戻そうと、復興に向けて一生懸命がんばっていた、戦後わずか10年後あまり、ここ水俣で水俣病が発生し、公式に確認されました。1956年、昭和31年のことです。高度経済成長による、きらびやかな復興と発展の裏側で、水俣にとっては、長く悲しい時代の始まりでありました。

そして月日は流れ、水俣病は、公式確認から来年で60年という節目を迎えようとしています。しかし、この長い年月を経て今もなお続く、患者や被害者の方々、そしてご遺族の方々の、苦しみは計り知れません。

わたくしは一年前、水俣市長として初めてこの場所に立ち、水俣で産まれ、水俣で育ち、そしてこれからも水俣で生きていく一人として、このような悲しい出来事が二度と繰り返えされないよう、また、水俣病が教えてくれた人類への警鐘を、決して色あせることがないよう、国内や世界の国々に伝えてまいりますとお誓いいたしました。そして今年もまた、その誓いを胸に、今日この場所に立たせていただいております。

昨年の慰霊式から今日までの一年、水俣市では様々な取り組みや行事をおこなって参りました。

水俣病に関連することでは、昨年10月に開催されました、水俣条約一周年フォーラムにおきまして、市内全ての中学一年生が、水俣病の経験を背景に、国内外に水俣条約の早期の批准と発効を訴えるメッセージをつくりました。そのメッセージは11月、タイで開かれた政府間交渉で120カ国以上の国々へ発信され、その後、国連環境計画ユネップからは、異例とも言える感謝のビデオメッセージが届きました。このような感謝の言葉が贈られたのは、条約の重要性を訴える水俣の子供たちの思いが世界へ伝わった証であります。この水俣で立派な子供たちが育ってくれていることを、私は改めて、心強く、また大変誇らしく思った次第であります。

また本市では、国と熊本県のご支援を賜りながら、旧水俣高校の一部を活用した、教育・研究活動の連携拠点としての「水俣環境アカデミー機構」の実現に向けて取り組んでいます。この拠点が実現すれば、水俣の将来を担う子供たちのために、そして地域振興のためにも、大きな役割を果たしてくれるものと期待しているところです。

一方、水俣市は環境のまちづくりを進めるなかで、実際に水俣の地に足を運んでもらい、知っていただき、併せて地域の活性化にもつながるよう、交流人口の増加に力を入れているところでもあります。そのための多くのイベントや情報発信、観光施設の整備を行い、お客様をお迎えする水俣の玄関口である「肥薩おれんじ鉄道水俣駅舎」も、つい先日リニューアルをすませたところでございます。

最近では、水俣を訪れる人が年々増加しており、今後もさらに交流人口の増加を図って参りたいと考えています。

この交流人口の中には、水俣病のこと、環境への取り組みのことなどを学ぶため、国内外から訪問されるたくさんの人が含まれています。

来年の公式確認60年に向けて、展示の大幅なリニューアルを計画している水俣病資料館も学びの拠点の一つでありますが、この水俣病資料館には、訪れた方の感想などを書いてもらうノートが置かれています。その中に次のような感想がありました。

要約しますと、その方は5年前、初めて水俣病資料館を訪れたとき、「これほどの出来事を何も知らず私は生きてきたんだ」と、強い衝撃を受けたそうです。そして、続けてこう記されていました。「子供たちには、水俣病のことをきちんと知ってほしく、次の年、高校を卒業したばかりの子供を連れて来ました。そして今年に入り、高校を卒業した2番目の子供を連れて来ました。次は、3番目の子供が高校を卒業致します。その時はまた、ここに連れてくるつもりです。水俣での出来事を単なる公害事件としてではなく、『人が人であるためには、どうあらねばならないのか』という視点で考え続け、次の世代に伝えてほしいと願っています。」

私は、水俣を訪れたことがきっかけで、水俣病に学び、次の世代を担う我が子に対しても、人としての生き方を伝え、未来を託そうと思われた親心に感動いたしました。同時に、水俣病の歴史と、水俣病をめぐる人々の生き様が、初めて訪れた人の心を一瞬にしてつかみ、人の心を揺さぶり動かす強力なエネルギーと影響力を持っているのだと、改めて認識しました。このように世代を越えて水俣病を、水俣で起きたことを語り継いでくれる家族が、日本中に広がってほしいと心から願わずにいられませんでした。

将来、この3人の子供たちが家庭を持ち、子供が生まれたときには、きっとまた一緒に水俣を訪れてくれることでしょう。

戦後70年、そして水俣病公式確認からまもなく60年。当事者が少なくなっていく中で、水俣病資料館に残されたメッセージから、また、水俣の子供たちの世界に向けたメッセージと行動から、しっかりと水俣病を語り継いでいってくれる存在を確認し、私は未来を照らす大きな希望の光を感じました。

私は、これほどの人の心を動かす力を持った水俣病と、水俣という場所のエネルギーを、将来の水俣を創造するエネルギーとしたい。

そして、水俣病を風化させることなく、次の世代に誇りを持って話すことができる水俣を、豊かで賑わいのある私たちの水俣を、市民みんなで力を合わせてつくっていくことをお約束し、ここに、犠牲者の皆様のご冥福をお祈り申し上げ、式辞といたします。 

平成27年5月1日   

                          水俣市長 西田 弘志



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水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」

            祈りの言葉

じいちゃん、ばあちゃん、そして母さん、日になりました。今、あなた方の霊はここにありますか。今日は、私達家族の想いを聞いていただく機会になりました。霊がここにあるならば、ともにいてください。

 私たち家族は、以前、この日が来ると仕事の手を休め、船から犠牲になられた方々へ海に花を手向けておりました。

私の一家は、4人が水俣病の認定患者です。昭和34年、突然祖母が発病しました。

祖父は、発作にみまわれた祖母を介護し見守りましたが、やがて自身もこの病に侵されました。当時、原因不明のこの病は、伝染ると噂され、偏見や差別で地域をも分断しました。いっこうに治らない病の重さと、その理不尽さに理由を求め、祖父母は、第一次訴訟の原告になりました。しかし、昭和44年訴訟に踏み切ってからヶ月後、判決を聞くことなく、この病で祖父はその命を断ち切られました。

無念の想いは、その後、父と母が受け継ぎましたが、やがて父と母も発病しました。私たち兄弟は、そんな最中、生まれ育ちました。人の弟と病気の大人たち。私は、長男としての責任と重圧で、何度もこの病を背負った家族から逃げたいと思いました。母の手は曲がり、時に激痛がありました。足の感覚がなく怪我をしても痛みを感じない祖母に恐れを感じました。漁師の仕事に支障を来たし、やせ細る父。急に体調が悪くなり、途絶えてしまいそうになる命。明日は誰かが祖父と同じように苦しみながら死ぬかも知れない。そんな想像をすると少年の私の胸は押しつぶされそうでした。患者は、十字架を背負わされて、生きていかなければならないのです。水銀(みすがね)の十字架は、身体に張り付き、生涯これを取り除くことは出来ないのです。

母さんが去ってから7年が過ぎました。そちらでは手の痛みは消えましたか。割れるような頭の痛みは無くなりましたか。

多くの方々から、「もう一度栄子さんにお会いしたかった」とよく言われます。「わたしは水俣病にのさったもんな・・」あなたがよく口にしていた言葉です。

「のさり」とは、天からの授かりものという意味。これは、じいちゃんが教えの中で、使った言葉と聞きました「病気もまたのさり‥時化じゃち思え。台風じゃち思え。」「人は恨むな。こらえていっちょけ・・。」じいちゃんのこの言葉は、人と交わり、密接に関わった時代を生きぬいた漁師の、まさに潔い教えと感じます。この教えに、人を恨まず、人を好きになろうとしていたあなたの健気な姿は、みんなが大好きだった。

ただ、あまりにも受け入れ難い生涯でした。苦しかったでしょう、悲しかったでしょう「不自由な手じゃ、子どもに、にぎりめしいっちょも握ってやれん」と泣いていたあなたの姿を見ると私たちも切なかった。水俣病の認定を受け、生涯治らない病と向き合い、生活をしていくなかで、あなたは「国も許す。県も許す。チッソも許す」と言った。なぜ「許す」のですか。許してよかったのですか。

痛む曲がった手になっても、重く腫れ上がった足になっても。誰も恨まない。誰も恨まないから私で終わりにして欲しい。と受け入れ難きを「許す」ことで、同じ悲劇を繰り返さないという「約束」をとりかったのですね。同じ患者として苦しんだじいちゃんの教えと、人としての尊厳を守りたかったのですね。今、あなたの想いと私達家族の想いは皆さんにしっかりと伝えました。

犠牲になられた患者さんやそのご家族には、たくさんの想いがあるでしょう。この地で生まれ、受け入れ難き生涯であったこと。無念に亡くなられたこと。子ども達や未来のためにその不自由な身体で懸命に訴え、心の溝を修復しよう。この街を再生しようと生きたこと。そのことを私達は忘れません。その想いに触れ、残していかなければならないものをこの地で考え続け、未来ある子ども達に託してゆきたいと思います。どうか私達を安らかに見守りください。

                  平成27日    

          患者・遺族代表   杉本 肇




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児童・生徒代表 「祈りの言葉」

            児童・生徒代表「祈りの言葉」

 「あなたが何気なく過ごしている今は、水俣病で亡くなってしまった方々が精一杯生きたかった今だ」これまで水俣病学習に取り組んできた私たちの胸には、水俣病語り部の方のこの言葉が強く刻まれています。

 水俣病公式確認から59年。今、水俣の自然豊かな山々では、鳥のさえずりが聞こえ、豊かで美しい海では、多くの命が育まれています。多くの人々のたゆまぬ努力のもと、もやいのまちづくりが進められています。

 しかし、一度破壊された環境が及ぼした影響は計り知れない大きさであることを直視しなければなりません。現在も多くの水俣病患者とそのご家族が苦しみ続けておられることは事実であり、私たちは水俣の真の再生とは何なのかという大きな課題に正面から向き合い続ける必要があります。

 昨年の秋、水俣の中学1年生全員が水銀に関する水俣条約1周年フォーラムに参加しました。世界では今なお水銀汚染に苦しんでいる人々が多く存在しているという事実を知り、私たちは大きな驚きと悲しみを覚えました。また、世界で新たな水銀被害をなくすために、一刻も早く水俣条約を発効する必要性を強く感じました。その思いを込め、私たちはここ水俣の地から世界に向けてメッセージを発信しました。このメッセージに対し、国連環境計画の事務局次長イブラヒム・チャウさんの話に、「みなさんの声やメッセージは、水俣の悲劇を二度と繰り返さないために無くてはならないもの」とありました。この言葉は、私たちに活動意義を再確認させるものだと感じました。

 このフォーラムを通して、これから私たちがすべきことは、これまで学んできた水俣病の教訓を、そして水俣病犠牲者の方々の意思を広く、正しく伝えていくことであると確信しました。そのためには、水俣で生まれ育った私たちが、もっと故郷(ふるさと)のことを知り、環境守ること、命を守ることを真剣に考え、行動していくことが大切です。豊かな自然を守っていくことは、私たちの未来の世代の財産を守っていくことに直結しています。世界の未来を変えるためには、想像もつかないほどのエネルギーを要すると思います。ただ、そのような現実に立ち向かうためには、私たち一人一人が日常生活から見つめ直し、環境保全の実践を積み重ね、メッセージを発信することが必要です。一人一人の言動が水俣を変え、熊本を変え、日本、そして世界を変える力に繋がると思います。

さて、私たちはこれまで水俣病学習を通して、環境を守ること、人権を守ること、命を守ることを学んできましたが、昨年度から土曜授業で「水俣科」という学習を始めました。「水俣科」では、地域の方から話を聞いたり、地域に足を運んだりしながら、より深く古里水俣のことを学習しています。また、これからの地域の課題に対し、どう立ち向かっていくべきなのかを議論しています。さらに、日頃からゴミの分別や減量、節水、地域のゴミ分別にも積極的に取り組んでいます。地域のごみステーションは、地域の方々とのもやいの場でもあります。

 私は、生まれ育った水俣のことを誇りに思います。それは、水俣病被害者の声に耳を傾けながら、市民が同じ過ちを二度と繰り返さないという強い意志のもと、一致団結して環境を守る取り組みを進めているからです。水俣に生まれ育った私たちだからこそ、私たちにしかできないことがあると思います。水俣病の犠牲になられた方々が精一杯生きたかった今を、未来を、誇りを持って精一杯生きていくことをここ水俣の地に誓い、祈りの言葉といたします。

                       平成27年5月1日
                         水俣市立袋中学校 植田竜至


 




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環境大臣 「祈りの言葉」

 水俣病犠牲者慰霊式に臨み、水俣病によって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。

また、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、その御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、今なお苦しみの中にある方々に対し、誠に申し訳ないという気持ちで一杯です。

ここに、政府を代表して、水俣病の拡大を防げなかったことを、改めて衷心よりお詫び申し上げます。

私が初めて水俣の地を訪れたのは昨年10月の水俣条約1周年フォーラムのときでしたが、水俣の海の美しさに目を奪われたことは今でもはっきりと覚えております。そして、かつてこの美しい海が(けが)され、甚大な健康被害と環境汚染が生じ、平穏な地域社会に長年にわたり不幸な亀裂がもたらされたことに、改めて深く思いを致さずにはいられません。

本日、風光明媚な不知火海を望むこの地に立ち、水俣病のような悲惨な経験を二度と繰り返さないとの決意を新たにしております。国として、責任を持って水俣病問題に対して取り組み、関係地方公共団体と連携しながら、地域の皆様が将来にわたって、安心して暮らしていける社会を実現するために引き続き全力を挙げていくことを、ここにお誓い申し上げます。

 また、水俣病を経験した我が国だからこそ、世界のいかなる国においても水俣病のような公害を繰り返さないよう、水俣病の教訓を世界に発信するとともに、世界の水銀対策をリードしていくことが重要であります。

ここ水俣の名を冠した「水銀に関する水俣条約」を早期に締結するべく、現在、国内担保に必要な法案として、「水銀による環境の汚染の防止に関する法律案」と「大気汚染防止法の一部を改正する法律案」を国会に提出しており、ご審議いただいているところです。

国として、地方公共団体、事業者、国民の皆様とともに、公害のない、持続可能な社会の実現に向けて、また、恵み豊かな自然環境を保全し、将来に継承していくため、全力で取り組んでいくことを、ここ水俣の地においてお誓い申し上げます。

 最後に、改めて、水俣病の犠牲となりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、私の「祈りの言葉」とさせていただきます。

                                     平成27年5月1日

                                               環境大臣 望月義夫



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県知事 「祈りの言葉」


 本日ここに、水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるにあたり、水俣病で尊い命を失われた方々の御霊に対し、全ての熊本県民とともに、謹んで哀悼の意を表します。

水俣病公式確認から長い時間が経過しましたが、水俣病の被害に苦しんでこられた方々、そして御家族を亡くされた御遺族の方々の大きな苦しみや深い悲しみは、決して癒されるものではありません。水俣病の被害拡大を防ぐことができなかった熊本県行政の代表者として、改めて心からお詫び申し上げます。

私の政治の原点は、常に、弱い立場にある方々の目線に立って問題解決を図っていくことであります。このことは、水俣病の問題から学びました。

知事就任以来、この原点を踏まえ、水俣病被害者の方々に寄り添い、県政の重要課題である本問題を、一日も早く解決したいとの思いで取り組んで参りました。

 そのような中、昨年8月に、水俣病特措法に基づく救済措置に関する判定が終了しました。判定については、お一人でも多くの方が救済を受けられるよう、関係機関の協力を得て丁寧に進めて参りました。

今後も、関係する市や町の相談窓口などで、様々な御相談、御心配を丁寧にお聞きして参ります。

御相談を頂く中には、公健法に基づく水俣病の認定を求められる方がいらっしゃいます。もとより、そのような方々がいらっしゃる限り、この公健法の世界を閉じてはならないという私の考えは些かも変わっていません。

一昨年4月の最高裁判決を踏まえ、現在、国の臨時水俣病認定審査会、いわゆる臨水審での審査が行われています。

県としては、国の審査に協力するとともに、その結果と、今後示される不服審査会の裁決を見極めた上で、県の認定審査の実施について判断したいと考えています。このため、申請者の方々の疫学調査や検診等について、最大限の努力を続けております。

 次に、胎児性、小児性の患者の方々についてですが、私は、昨年六月改めて患者の方々や御家族の皆様に直接お会いし、日常生活の状況を把握させていただくとともに、お困りの事や御心配事についてお聞かせいただきました。

 患者御本人の身体機能の低下や介護を担われる御家族が80歳台に差し掛かり、介護の負担が日に日に大きくなっていることから、これまでも24時間の介護サービスの実現などを図って参りました。

 今後とも、多くの患者の方々に寄り添い、御本人や御家族の皆様が、より一層安心して暮らしていただけるよう、将来的な不安の抜本的解消に向け、取り組んで参りたいと考えております。

更に、水俣・芦北地域の再生・振興についてであります。

昭和53年の閣議了解に基づき、これまで5次35年にわたり水俣・芦北地域振興計画を策定し、この地域の振興に努めて参りました。最近では、この計画に基づき、水俣市の湯の鶴温泉保健センターや水俣駅の改修が行われ、地域に新たな魅力が加わりました。

また、各地域のもやい直しやリハビリテーション事業のほか、水俣に知の結集を図るための環境アカデミー構想といった取組みなど、地元の皆様方とともに、様々な取組みを進めております。

さらに、一昨年10月に開催されました「水俣条約外交会議」における「水銀フリー熊本宣言」に基づき、水銀を使用しない「水銀フリー社会」に向けた率先行動や水銀研究留学生の支援等にも取り組んでおります。

今後も、新たな第六次水俣・芦北地域振興計画を策定しながら、着実に、一層の活力ある地域づくりと安全、安心な暮らしの確保に取り組んで参ります。また、本県の使命として、患者の方々の御協力を得ながら、引き続き、水俣病の歴史や教訓を国内外、そして次世代に伝えて参ります。

これまで何度も水俣の地を訪ねてきました。本日、改めて、水俣病発生の原点の、そして聖地とも言うべきこの地に立った今、私は、水俣病問題の、一日も早い解決への決意を思い起こし、全力で取り組む覚悟を新たにしています。

これからも、水俣病問題に真摯に向き合い、被害者の方々に寄り添って参ります。
 改めて、水俣病犠牲者の方々の御冥福を心からお祈り申し上げ、私の「祈りの言葉」といたします。

                                   平成27年5月1日

                                          熊本県知事 蒲島 郁夫




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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」

 本日、ここに、水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるにあたり、謹んでお亡くなりになられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様方に対しまして心より哀悼の意を表します。

 当社は、この水俣の地で創業以来、107年に亙り水俣市及び周辺市町村の皆様に支えられ地域とともに歩んでまいりました。

 しかしながらこの間に、当社の工場廃水に起因して水俣病を惹き起こし、多くの方々が犠牲になられましたこと、地域の皆様に多大なご迷惑をおかけしましたことは、まことに痛恨の極みであり、ここに衷心よりお詫び申し上げます。

 当社は、これまで患者の皆様に対する補償責任の完遂を経営の至上命題に掲げ必死の努力を重ねてまいりました。

 また、お蔭様で事業会社であるJNCは、スタートして4年が経ちました。変化の激しい時代にあって、依然、欧州や新興国などの景気減速懸念もあり、先行きの不透明感は払拭できないものの、一昨年来の政府政策により、日本経済のムードは改善の方向に向かっていると感じております。

 こうした中、グループの主力工場である水俣製造所は、水俣病の経験を深く心に刻み、常に環境・安全に配慮したもの造りと水力発電や太陽光発電による再生可能エネルギー事業に、積極的に取り組むなど、収益基盤を強化し、補償責任の完遂と地域社会への発展に努めてまいります。

 そして、これからも患者の皆様が安心して暮らしていけますよう、関係自治体が検討される必要な施策にも協力してまいる所存であります。

 このことが、犠牲となられた方々の鎮魂のため、ご迷惑をおかけした地域の皆様方への償いのため、国・県ほか関係各位からお寄せ頂いているご支援に応えるための当社の歩む道と考え、なおいっそうの経営努力を重ねてまいりますことをここにお誓いし、祈りの言葉といたします。

                平成27年5月1日

                 チッソ株式会社 代表取締役社長 森田 美智男



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