施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271


※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成22年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉
平成22年度水俣病犠牲者慰霊式


水俣市長式辞
 本日ここに水俣病犠牲者慰霊式を執り行うに当たり、犠牲者のご遺族の皆様、被害者の皆様はもとより、鳩山由紀夫内閣総理大臣、小沢鋭仁環境大臣、蒲島郁夫熊本県知事をはじめ国・県の関係者の方々、近隣自治体の代表者、また多数の市民にご参加をいただき、ともに祈りを捧げていただきますことに対し、厚く御礼を申し上げます。
 特に今回、被害者や関係者の皆様が切望されていた内閣総理大臣のご臨席を賜り、国の最高責任者として「祈りの言葉」をいただきますことは、亡くなられた方々への深い鎮魂、ご遺族、被害者の方々へ平安と希望を与え、また水俣市民もみんなが喜んでおり、深く感謝申し上げます。

 水俣病公式確認の日から今日で54年目を迎えました。
 私は、悲劇の始まりの舞台となったこの水俣湾を目の前にして、かけがえのない命を奪われた全ての方々の御霊に対し、改めて心から深く哀悼の誠を捧げます。と同時に、遺族の方々の消えることのない深い悲しみに、被害者の方々の癒されることのない心身の傷みにも、深く思いを致すところです。
 半世紀余りの歳月を経た今日なお、多くの方々が病の苦しみの淵にあって、そこから抜け出すことのできない現実があることを思うとき、非常に残念であり、やり切れない思いで一杯です。
 また地元市長として、これまで水俣病問題の解決のために、いく度も被害者の早期救済や、被害者、地域の声を国等へ要望して参りましたが、果たして、どれだけのことができたのか、真摯な気持ちで自らを省みなければならないと思います。

 自らの非力に忸怩たる思いを感じながら、今この時にも、多くの被害者が救われないまま、一人、また一人と亡くなられていく中で、もうこれ以上問題を先送りすることは許されることではありません。一日一刻も早く、被害者救済を現実のものとしていかなければなりません。
 平成16年の水俣病関西訴訟の最高裁判決以降、新たに被害を訴え救済を求める人々が急増する中で、問題の解決はなかなか進まない状況にありました。しかし、水俣病問題は、今、全面解決に向けた大きな動きの只中にあります。本日から、「水俣病救済特別措置法」に基づく救済措置の申請受付が始まりました。大変喜ばしいことです。今日までの関係者の方々と国の努力に対し、改めて深く感謝申し上げます。
 私としては、問題解決に向けた大きな動きを側面から支えるとともに、これまでと同様、地元市長としての立場から、被害者の方々と地域住民の声をしっかりと聞き、関係者へ確実に伝えていきたいと考えています。

 先月初め、一人の胎児性患者の方が急逝されました。51歳の若さでした。
 祖父母、父母、兄姉と家族全員が水俣病に侵され、自らは生まれる前から水俣病を背負い続けて歩まれた人生でした。生まれつき聞こえず、しゃべることもできませんでした。
 先日、お悔やみのためにお訪ねし、ご家族でたった一人残されたお兄さんの傍らに立ち、そのご遺影を目にしたとき、言いようのない無念さが、私の胸を突き上げました。

 また同じ頃、水俣病資料館の語り部の皆さんと懇談する機会がありました。資料館には、現在13名の語り部がおられます。不自由な体をおして、あるいは忙しい仕事を犠牲にして、自らの体験を多くの来館者に話されています。苦しい悲惨な体験を語ることは、毎回血を吐くような辛い思いだそうです。
 そのような語り部の講話は、年間述べ300回を超えています。水俣病の経験と教訓を伝える、他の誰にもできない大切な活動だと改めて痛感しました。
 懇談の中で、語り部の一人がこう話されました。
 「水俣病になって私の人生は悪いことばかりでした。でも確かに、いいこともあったのです。水俣病にならなければ知りえなかった多くの人々との出会いがあり、今、語り部となって充実した毎日を過ごしています」と。
 その言葉に、私は驚きを覚えながらも、分厚い雲間から一条の光が差し込むように感じたのです。

 一日も早く全ての水俣病被害者の救済が実現し、真の問題解決になるように、国、県及びチッソには、引き続き尽力していただくことを強く望みますとともに、市民の安心と地域社会の安定のために、市長として最大限の努力をしていく覚悟です。
 今日、5月1日を契機として、今後、被害者救済が進んでいくと思いますが、同時に水俣病で疲弊したこの地域の再生・振興が大変重要になってきます。
 水俣市は、平成4年の「環境モデル都市づくり宣言」以来、水俣病の経験を貴重な教訓として、市民と行政が協働して様々な環境の取り組みを実践してきました。2年前には、国から「環境モデル都市」の認定を受け、名実共に世界に誇れる環境都市の実現を目指しています。
 これからの未来に向かって、自然とのつきあい方、暮らし方、産業活動、コミュニティを市民とともに「もやい」の心で捉え直し、ひとり一人のいのちの輝きを増していきます。豊かな自然を次の世代に引き継ぎ、環境の取り組みを通じて地域や経済が元気になっていく。人が好き、自然が好き、住んでいる場所が好きと、心から素直に言える水俣をつくって参ります。

 限りなく命の大切さを基盤とした環境モデル都市水俣の実現を目指して、市民の皆様と力を合わせ、全力で取り組むことをここにお誓いするとともに、改めて水俣病の犠牲となって亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げ、式辞といたします。

平成22年5月1日
水俣市長 宮本 勝彬


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水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」
 水俣病犠牲者遺族を代表して、祈りの言葉をささげます。
 私達二人はこの明神で生まれ、漁師の家族として育ち、水俣病と出会いました。ここがまだ海だった頃、泳いだり、貝やテングサを採ったりして、大人も子供も海が大好きでした。
 水俣湾の魚がフラフラ泳ぎ始め、貝が口を開き、腐ったにおいが立ち込めました。それが奇病の始まりでした。猫も、鳥も、元気だった人も最期はうめき声と痙攣で苦しみ、もがき死んでいきました。
 私はじいちゃんの舟に乗って魚釣りに来たことを覚えています。あの時、私が4歳、従姉妹の恵美子が2歳になったばかりの頃です。小さないろりを作って、獲ったばかりの魚をたべさせてくれました。幼い私達はぴちぴちはねておいしい魚だと喜んで食べていたに違いありません。まさかそれが恐ろしい魚だと誰も教えてくれませんでした。奇病と呼ばれて亡くなったじいちゃんも今日はこの慰霊式をきっと見守っていることと思います。

 私は、末っ子として生まれました。お父さんも漁師でした。私はとても元気な女の子でした。
 2才の時でした。私は、つまづいては、ころび、おきあがっては、またころび、したそうです。それを見ていたおじさんが、「恵美子はおかしい」と言いだしました。そのときはもう、病気が始まっていたのです。それから、からだの力がぬけて、歩けなくなってしまいました。
 お母さんは、私をおぶって、何回も病院まで歩いてくれました。病院では背中に注射を打たれました。とても痛かったです。それからは病院に行くと、泣いて困らせました。  「奇病」と呼ばれて、いやな時もありました。
 いじめにあうから、小学校も遅く入学しました。
 家では無口だったお父さん。
 でも私を心配して、ずっと守ってくれました。私は、自分でできることは、自分でやっていきます。そして、年をとったお母さんの世話もしていきます。お父さん、心配せずに安心して眠ってください。
 同じ水俣病でも、それぞれ皆ちがいます。でも、みんな年をとってきてます。いつまでも皆と一緒に集まりたい、集まれる場所がほしいです。
 私は今、いろいろな障がいをもった人たちと一緒に働いています。これからも、お花の世話をしながら、みんなとがんばって生きたいと思っています。
 どうか、みんなが一人の人として、最期まで生きていけるように、見守ってください。

 2009年7月8日、水俣病 特別措置法案が成立した日です。
 その時、私は東京にいきました。とても重苦しい気持ちでいっぱいでした。
 法律を作らなくても補償救済するのが、当然だと思っていたからです。それにもましてチッソが被害者より先に法律で解放されることは、無念な思いをかかえて亡くなった父や残された被害者の気持ちを思うと許されませんでした。
 「水俣病と認めてください」と自分から申し出る仕組みは、患者被害者、市民にとって心の大きな負担となってしまいました。54年もの長い時間は多くの偏見、差別をうみだしました。もっと早く被害状況を調べ、対処していたらここまで苦しむことも無かったでしょう。原因企業のチッソはもちろんそれを放置した県、国の責任はとても重く、どの様な形で修復していくか大きな課題が残されています。この地域で暮らす人が何を望んでいるのか、一人一人の意見に耳を傾けて欲しいものです。私は「水俣病はもう終わったこと」ではなく「水俣に学びに来る人たちが増えてうれしいね」と笑顔で話せる日が来るのを望んでいます。
 たくさんの人が国内はもとより、世界各国から水俣病資料館を訪れるようになりました。私達が語り部として子供たちに伝えたいことは、「今、生きていること」を大切にしてもらいたいことです。水俣病はいのちを育む山、川、海がある小さな町で起きました。そして大切なものがたくさん奪われました。私達が大好きだった海も水銀と共に封じ込められてしまいました。もう一度亡くなられた方々の心の叫びに耳を傾け、誰もが安心して暮らせる町になるまで伝え続けていきます。そして犠牲になられた皆様のいのち、願いを繫いでいきます。どうぞやすらかにお眠り下さい。

平成22年5月1日
水俣病患者・遺族代表 前田 恵美子
                                     吉永 理巳子


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水俣市立久木野小学校 児童代表 「祈りの言葉」
 わたしたちの学校の校歌は「愛林の里、今日映えて…」という歌詞で始まります。校歌にも歌われているとおり、わたしたちの住む久木野は水俣市の東にあり、豊富な水がわき出す緑豊かな山々に囲まれた所です。久木野を出発点に流れ出た水はやがて川となって町を潤し、そしてここ水俣の海に注ぎます。
 この水俣の海で、そこに住む小さな生命をむしばむ大変なことが起こりました。それはやがて魚やネコそして人間にまで及んでしまったのです。水俣病です。水俣病は、豊かな自然を壊し、そこに住む動物の命を奪ったばかりでなく、そこで生活する人々を苦しめ、たくさんの人の命も奪いました。さらに差別を生み、人々の絆も断ち切ってしまいました。
 この出来事を同じ水俣に住みながら昔のこと、どこか遠いところで起こったこととして考えていたことがありました。しかし、1年生の時から毎年水俣病のことを学習したり、患者さんと交流してお話を聞いたりするたびにいろんな繋がりがあることに気づき、思いを新たにしてきました。
 昨年、ほっとはうすの方と交流会をしました。そのとき患者さんたちはわたしたちの質問に一生懸命に答えてくださいました。とってもつらい思いをしたのに返ってくる答えはどれも明るく前向きでした。苦しみを乗り越え明るく逞しく生きておられる姿に勇気をもらいました。また、ほっとはうすの建物に使われている柱の一部は久木野の山からとれたものだと話してくださいました。建物の大黒柱がわたしたち地域の木だと思うととても身近なことのように感じてきました。
 「森が海を育てる」という言葉があります。先日地域にある漁民の森づくり運動で植えられた木があるところに行ってきました。植えられた木は私の背よりも大きくなっていました。そこと、昨年社会科見学で水俣病資料館やエコパークからみた海と繋がっていると思うと不思議な感じがしました。
 今、どこの学校でも行っているISO活動。わたしたちの学校でも「ノートや鉛筆は最後まで使います」「使える紙は裏まで使い小さな紙も分別します」など八つの宣言をして活動を続けています。これも水俣病をきっかけに取り組み始めたことです。
 わたしは、水俣病資料館の写真や資料を見て「かわいそう、かわいそう」と簡単に言っていました。でも、そんなことを簡単に言っているということはあまり水俣病のことを真剣に考えていなかったんじゃないかと思いました。わたしたちは、患者さんたちのことをもっと考え、もっと水俣病のことを学んでいきます。
 わたしたちの地域にある寒川水源の水は、手ですくって飲める本当にきれいでおいしい水です。その水が水俣川の河口でも全く同じような水のまま水俣の海に注ぐことができるように家庭から出す排水も気をつけていきます。そして、もう二度とこのような過ちを繰り返さないために環境を大切にする身近な活動を続けていきます。
 わたしたちは、ここに誓います。
「水俣病がわたしたちに教えてくれたことを決して忘れないこと」
「わたしたちの住む水俣の山と川と海を守り育てること」
「そして、わたしたちが生きていく水俣を温かい心であふれる町にしていくことを」

平成22年5月1日
水俣市立久木野小学校 児童・生徒代表 小野 大志
森山 藍梨


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内閣総理大臣 「祈りの言葉」
 水俣病犠牲者慰霊式に臨み、水俣病によって、かけがえのない命を失われた方々に対し、心から哀悼の意を表します。
 本日は、我が国の首相として初めて、水俣病犠牲者慰霊式に参列できましたこと感無量でございます。
 今、この地に立ち、水俣が生んだ明治の文豪 徳富蘆花が一幅の「生命(いのち)踊る油絵」と讃えた美しい海を見るに及んで、このすばらしい海を汚(けが)し、深刻な健康被害をもたらし、そして、差別・偏見・不和など地域全体の絆を破壊してしまったことについて、思いを深く感ぜずにはいられません。
 熊本、鹿児島にとどまらず、さらに後年、新潟で第二の水俣病が引き起こされたことは、誠に痛恨の極みであります。こうして各地で、長きにわたる大変な苦しみの中でお亡くなりになられた方々、御遺族の方々、地域に生じた軋轢に苦しまれた方々、また、今なお苦しみの中にある方々に対し、まことに申し訳ないという気持ちで一杯であります。
 ここに、政府を代表して、かつて公害防止の責任を十分に果たすことができず、水俣病の被害拡大を防止できなかった責任を認め、改めて衷心よりお詫び申し上げます。国として、責任を持って被害者の方々への償いを全うしなければならないと、再度認識いたしました。
 昭和三十一年五月一日、チッソの付属病院の野田医師が、水俣保健所に患者の発生を報告するべく飛び込んでいったのが、五十四年前の今日のことです。そして、昭和四十年六月十二日、新潟においても水俣病患者の発生が発表されました。
 公式確認から五十四年という長い年月を経た今日(こんにち)に至るまで、水俣病問題の解決に関して様々な方が努力されてきましたが、なお大きな課題が残されております。
 特に、今日(こんにち)なお、救済を求めておられる方々が多くいらっしゃいます。ご高齢の方も大勢いらっしゃいます。
 こうした事態を放置できないことから、「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法」が制定されました。
 鳩山内閣は、「いのちを守る政治」の具体化として、被害者団体や関係者と何度も話し合い、一心に解決を模索努力した結果、今般、「救済措置の方針」の制定に至りました。この上は、いのちを守るとの基本的な考えのもとに、水俣病被害者を迅速に、かつ、あたう限りすべて救済いたします。
 万感の思いを込めて、本日、五月一日から、申請の受付を開始することを、表明させていただきます。
 また、裁判をしておられる方々とも和解できないかと、何度も話し合いを重ね、この度、ノーモア・ミナマタ訴訟原告団の方々と裁判所において、基本的合意を成立させることができたことは、大きな成果であったと思います。
 しかしながら、水俣病問題がこれで終わるなどとは決して思っておりません。むしろ、今日のこの日を、新たな出発の日にしたいと思います。
 水俣病問題の解決のためには、すべての被害者の方々はもとより、地域の皆様が安心して暮らしていけることが何よりも大切であり、将来に向かって、地方公共団体と連携しながら、胎児性患者の方を始めとする方々の医療・福祉や健康不安のモニタリング、地域の絆の修復・もやい直しを進めるとともに、環境対策に熱心に取り組むことで地域が発展し、成長するモデルを作り出せるよう、全力で取り組んでまいる決意であります。そして、水俣病の教訓を世界に発信していきます。

  私は、水俣病と同様の健康被害や環境破壊が、世界のいずれの国でも繰り返されることのないよう、国際的な水銀汚染の防止のための条約づくりに積極的に貢献していく決意です。このため、まず来年一月に開催される第二回の交渉会議をわが国において開催することといたします。
 さらに、最終的にこの採択と署名を行うために二〇一三年頃開催される外交会議についても我が国に招致することにより、「水俣条約」と名付け、水銀汚染防止への取り組みを世界に誓いたいと思います。

 水俣病のような悲惨な経験を再び繰り返さないようにしていくことが大切であります。  国として、地方公共団体、事業者、国民の皆様とともに、いのちを守り、公害のない、持続可能な社会の実現に向けて、また、恵み豊かな自然環境を保全し、将来に継承していくため、全力で取り組んでいくことを、ここにお誓い申し上げます。
 最後に、改めて、水俣病の犠牲となりお亡くなりになられた方々の御冥福をお祈りし、私の「祈りの言葉」とさせていただきます。

平成二十二年五月一日
内閣総理大臣 鳩山 由紀夫


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県知事 「祈りの言葉」
 水俣病犠牲者慰霊式にあたり、熊本県民を代表して祈りの言葉をささげます。本日は、五十四年に亘る水俣病の長い歴史において、日本国の行政府の長として初めて、鳩山内閣総理大臣の御臨席を賜り、心から感謝申し上げます。

  今、目の前に広がる水俣湾は、かつて悲惨な水銀公害により、悲劇の海と化したことがあります。しかし、多くの方々の、絶え間ない御努力により、再びこのように美しい海に生まれ変わることができました。その水俣湾に臨むこの地におきまして、水俣病で尊い命を失われた方々の御霊を前に、全ての熊本県民とともに、謹んで哀悼の意を表します。

 本来、県行政には、県民お一人おひとりの生命や健康を守る使命と責任があります。しかし、熊本県は、水俣病被害の拡大を防ぐことができず、長きに亘り、大きな苦しみを、被害者や御家族の方々に強いてしまいました。悔やんでも悔やみきれない過ちを犯してしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。県知事として改めて心からお詫び申し上げます。

 私の政治の原点は、常に弱い立場にある方々の目線に立ち、問題解決を図っていくことにあります。知事就任以降、この原点に立ちながら、多くの水俣病被害者の方々と向き合い、地元県知事として、「今、為すべきことは何か。」を、日々、問い続けて参りました。

 具体的には、被害者の方々の高齢化が進む中、未だに救済されない多くの人々を、いかに早急に救済していくのか。また、胎児性・小児性患者の方々のように、補償や救済を受けられていても、日々、重い障がいを抱えながら、暮らしておられる人々をどのように支えていくのか。そして、水俣病発生の影響を被った地域全体を、いかに再生していくのかであります。

 熊本県は平成十六年の最高裁判決を受け、政治による救済を求め続けてきました。国会もよく、その意を受けてくださり、昨年七月に、超党派による「水俣病被害者救済特別措置法」が成立しました。そのこともあって、民主党を中心とする新政権におかれましても、迅速に早期救済を進めて頂きました。

 去る三月二十九日には、熊本地方裁判所の和解所見に基づき、原告・被告による和解の基本合意が成立いたしました。多くの関係者の言い尽くせない御努力と、御英断に対しまして、心から敬意を表したいと思います。

 いよいよ、本日から閣議決定に基づく、新たな救済の申請受付が始まります。被害者の方々の身を切る様なお気持ちと、御決断に思いをいたしながら、今後、迅速な救済に努めることが、熊本県に課された次の使命であります。

 私は、昨年、胎児性の方々を含め、十二名の認定患者の方々のお宅を訪問しました。そこで、介護をする方、される方、ともに辛く厳しい状況の一端を知りました。幸い水俣市は、患者の方々の療養のため、明水園を設置・運営されております。私は、この明水園を国や水俣市と協力し、その機能を一層高めるべきではないかと思うに至りました。昨年度はまず、短期入所室の改修を行い、本年度も、お互いに支え合ってこられた御家族が、一緒に安心して暮らせるような、居住施設を整備したいと思っています。

 ただ、引き続き、在宅での生活を希望される方もおられます。この方々に対する通院の送迎や家事援助といった支援について、今後も積極的に取り組んで参ります。こうしたことにより、患者の方々の痛みが、少しでも和らぐことを切に願っております。

 地域全体の再生・振興については、これまでも、地元の皆様方とともに、様々な取組みを行ってきております。その中で、水俣市では、「環境モデル都市」への取組みが進んでおり、二年連続で「環境首都コンテスト」総合第一位を獲得されました。県としても、環境都市水俣の更なる発展に、引き続き積極的に支援を行って参る所存です。また、水俣病に学ぶ「学びの場づくり」をはじめ、国際的な連携のもと、環境都市・水俣の名を世界に発信するように努めます。

 申すまでもなく、「公害の原点」である水俣病は、高度経済成長を進め、国民生活の向上を目指すという、国を挙げての政策の過程で発生、拡大していきました。本日、この慰霊式に、御臨席を賜りました鳩山総理に対しまして、改めてその御認識を賜るとともに、この問題の解決に向けた、国の更なる真摯な取組みを切に希望致します。

 本県としましても、改めて、犯した罪の大きさと、その責任の重さをしっかりと受け止め、地元の皆様の安心した生活の実現に向け、今後も全力を挙げて取り組む覚悟です。

 この地域は大きな苦しみを背負ってこられました。鳩山総理の御臨席による慰霊式が執り行われた本日が、希望に満ちあふれた「環境の聖地」へと発展していく大きな契機となりますよう、地元の皆様方とともに、一層の努力を払って参ります。
 もとより、熊本県は、将来に亘り、水俣病問題と真摯に向き合い続けること、地元の方々に寄り添い続けることを、ここに固くお誓い申し上げます。

 最後になりましたが、重ねて水俣病犠牲者の方々の御冥福を心からお祈りしつつ、私の「祈りの言葉」と致します。

平成二十二年五月一日
熊本県知事 蒲島 郁夫


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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」
 本日、ここに、水俣病犠牲者慰霊式が執り行われるに当たり、謹んでお亡くなりになりました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、ご遺族の皆様方に対しましても心より哀悼の意を表します。
 当社は、この水俣の地で創業以来百二年に亘り、水俣市及び周辺市町村の皆様に支えられ地域とともに歩んでまいりました。
 しかるにこの間、当社の工場廃水に起因して、水俣病を惹き起こしましたため、多くの方々が犠牲になられ、住民の皆様にも大変なご迷惑をおかけしましたことは、まことに痛恨の極みであり、ここに衷心よりお詫び申しあげます。
 当社は今日まで、患者の皆様に対する補償責任の完遂を経営の至上命題に掲げ、必死の努力を重ねてまいりました。
 また、平成八年には与党三党合意の解決案に従い、当時訴訟中の原告の方及び訴外で同様の症状を有する方々との間の和解により、紛争の解決を図りました。しかしながら、その後同様の事態が再燃し、混迷の度が一層深まってしまいました。当社としてはどのように対応すべきか苦慮いたしておりましたが、幸い関係者のご尽力により、昨年七月「水俣病被害者の救済及び水俣病の解決に関する特別措置法」が制定されました。
 当社は、この法律に従って解決を図ってまいりたいと存じておりますが、訴訟上の和解や同法により救済を求めておられる方々に対しましては、長期にわたるご苦労を拝察し、心よりお詫び申しあげます。
 同法による解決の過程において当社の事業再編が行われますが、患者の皆様への補償はこれまでと何ら変わることなく継続されるところとなっております。
 また、血の通った補償を行うために、これまで皆様方との窓口となり、いろいろなお世話をさせていただいております「患者センター」は、何らかの形でこれを存続させることといたします。
 国、熊本県及び水俣市でご検討いただいております明水園の充実などに関しましてもできる限りの協力を申しあげます。
 事業活動におきましても、当社は常に環境に配慮しながら、優れた技術で社会の進歩に貢献する先端化学企業として、地域の皆様との信頼関係を一層深め、もって、地域の発展に貢献してまいる所存であります。水俣市の「環境モデル都市」造りにも積極的に参加してまいります。
 犠牲となられました方々の鎮魂のため、また国、県及び地域の皆様方からいただいておりますご支援にお応えするため、会社としてなお一層の努力を重ねてまいりますことをお誓いして祈りの言葉といたします。

平成二二年五月一日
チッソ株式会社 代表取締役会長 後藤 舜吉


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