施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271


※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成11年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉


水俣市長 式辞
  水俣病犠牲者慰霊式を挙行するにあたり、水俣病の発生によって犠牲になり、貴い生命を失われた方々の御霊に対し謹んで哀悼の言葉を捧げます。
 想えば、何の罪もない人々が、予告もなく突然、病魔に襲われ悶え苦しみの中で、伝染病だ奇病だと差別され、金の亡者などと罵られながら亡くなられた方々の無念さを思う時、胸が激しく疼きます。
 人類が曾て経験したことのない豊かな社会の中で、人々と同じく楽しく暮らせるはずであった人生を、棒に振ってしまった健康被害者や、生まれながら苦しみを背負って、痛ましい障害を送っておられる胎児性患者の存在は、言語に尽くせぬ悲劇であります。
 公式発見から43年の歳月が流れました。
 多くの人々の懸命のご努力によって、被害者救済も一応決着し、混乱や紛争も収まって、平和が帰ってまいりました。
 だが、社会の裏側では、今もって患者であることを口にしたがらない人々も多いと伺って降ります。複雑多様な水俣病問題は、まだまだ深い心の傷を残しているのです。これからも皆で温かく包み、深い心の傷が言えるよう願いながら時間の経過を待たなければなりません。
 幸い、ようやく患者を含めた地域住民が、加害者、被害者を分けることなく、将来を目指して、明るく楽しい社会を作ろうとの合意が形成され、高度な資源ゴミ分別の実施やISO14001の認証取得など「環境モデル都市」づくりを、着々と進めることができるようになりました。
 また、   を超えてチッソ株式会社の存続を願う気運が醸成されたことは真にうれしい限りであります。
 水俣病被害者の苦渋の決断を受けた、平成7年12月15日の「水俣病対策について」という閣議の決定は、患者救済とともに、裁判などの紛争の取り下げや疲弊した地域の再生振興とチッソ支援を約束したものであります。
 地域の再生振興やチッソの存続が確実になり、そして患者、家族の皆さんの心の痛みが癒された時、水俣病の解決は終わりを迎えると思います。
 国におかれましては、閣議でのご決定を尊重され、確実に履行していただくよう、水俣病患者をはじめ地域住民皆んなが熱望しているのであります。
 近年、地球温暖化、オゾン層や熱帯雨林の破壊、酸性雨、ダイオキシン、環境ホルモンの出現などと、グローバルな環境問題が大きな課題となって参りました。
 水俣病患者はメチル水銀が海を汚染し、魚介類を通して自分の口の中にはいり込んでいるのを少しも感じませんでした。異常が現れた時には取り返しの効かない重大な事態となっていたのであります。
 人間が勝手に作りだした環境ホルモンなどの化学物質はメチル水銀同様に、想像もつかない危険を内蔵していると、水俣病は警告しているのであります。
 水俣病は、その原因物質を特定し、原因者負担の原則によって解決の道筋を探すことができましたが、今問題になっている地球環境の破壊は、グローバルな経済、産業、消費生活など、全人類の文明全般に起因するもので、もはや原因者負担の原則は機能しないのであります。
 人類は今、水俣病が経験した以上の愚かなことを地球規模で進行させているように思われてなりません。
 現在、私たちに突き付けられている課題は、全ての人類が被害者と加害者の双方に立たされている事実を自覚することであります。その自覚の上に立った、国際的なコンセンサスの形成やルールの確立が強く求められていると思います。
 そのためには、人類の環境意識の高揚に努力しなければなりません。
 環境破壊の恐ろしさを身をもって経験した私たちは、自らの地域づくりの行動で模範を示しながら、2001年に水俣市に招致する「地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」などを通して、水俣病の経験と教訓を発信し、世界に環境の大切さを訴え続けてまいることをお誓いいたします。
 最後に、水俣病犠牲者のご冥福と、ご遺族のご清福を重ねてお祈り申し上げ式辞といたします。

  平成11年5月1日
                    水俣市長 吉井正澄
 

トップへ戻る
水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」
 忠市さん、あなたは魚が好きで、勤めながら私と一緒に漁もし、家を建て、もうすぐ生まれてくる子供と暮らす事に望みを持ってがんばっていました、それが無理だったのでしょうか。
 たしか昭和33年8月の終わりごろの夕方でした。漁に行って網を引き上げていたら手が急にふるえ出し、5分とたたないうちに話す言葉がとぎれとぎれになり、夜には、話すことのできない状態になってしまいました。
 それからでした、私たち夫婦の苦しい生活が始まったのは。
 病院では、手の指をまげ、針で身体全体をつつかれ、線の上を歩き、煙草に火をつけ、筆で名前を書き、洋服をぬいだり着たりと何度も、何時間もつらい思いをしました。たくさんの人が、面白そうにあなたを眺めていてほんとうにくやしかったことを思い出します。
 病気は悪くなり、御飯茶碗はポトリと落とし、ハシは持てず、手づかみで食べても思うように口に入らず、顔いっぱい御飯つぶをつけてる姿には泣いてしまいました。
 外のトイレに行く時は哀れで、途中でつまずいて起きあがれず私をうらめしそうに見上げていました。四、五日たったら、立つこともできなくなり、自由にできない体と思うように話せないくやしさにカーッとなり、やっと寝かせたら何か言いたそうに、私を見ながら涙を流していました。
 「奇病」と世間からおそれられ、「伝染病」だから近寄るとうつると噂され、近所の人たちから嫌われても、あなたは入院することを嫌がり「ここが一番よか、死ぬ時はここで死にたか」とわめき、八日目には前より苦しみがひどくなり、急に起き出し立ち上がっては倒れ、ぐるぐる部屋を寝ながら苦しみ廻り、壁板をつきやぶり、そばにいた私もつき倒し、手も足も血だらけになりました。
 九日目に市役所の人が車で熊大病院まで連れて行ってもらった時は、もう何もわからず、それから三日目に静かになり夕方、息を引きとりました。
 あんなに生まれてくる子供の将来を、あれやこれやと話しては喜び、友達にはお祝いすると言って案内をしていたのに。後一ヶ月元気でいれば、親子三人楽しく暮らすことができたのに。
 葬式をすませ、落ち着く間もなく六日目、私は女の子を早産しました。元気に生まれた子供を見て、嬉し泣きに泣きました。元気に育って、父の分まで長生きしてと願う私でしたが、水俣病におかされて生まれてくるとは思いもしませんでした。
 三ヶ月目でした。手をたたいてよんでも方角違いを向いてニッコリ笑っている子供に不安になって病院に連れて行ったら、よく診もせずに「駄目ですね、一生あたり前の姿にならないでしょう。脳性小児麻痺ですよ」と冷たくはねられ、身体がふるえました。それからは毎日病気との闘いでした。似たような子供が15人いることが後でわかりました。
 寒い12月、補償を求めて工場の正門前に子供をおぶって座り込みもしましたが、ミルクもおしめも世間の目も冷たくて、人の幸せは決してお金じゃなか、家族の健康な身体だと、しみじみ思いました。
 目も見えず座れず背丈だけは四歳児と同じ大きさになった昭和36年3月のことです。
夜中に急にけいれんを起こし、がたがた歯をくいしばり目を白黒しました。「死んではだめ、死んじゃくれるな」と、聞こえぬ子供に叱りつけるように叫びながら走り続けて病院に行きましたが、朝七時半ごろに亡くなりました。
 生まれて何一つ見ることも、さわることもなく死んでしまって、母をうらみもせず、四年間病気で苦しめられ本当に可哀想でした。許してください。
 解剖してはじめて水俣病だとわかりました。なんでもっと早くわかってもらえなかったのでしょうか。何度も何度もこの子の父は水俣病だから水俣病かもしれない、入院をお願いしてきたのに全然聞き入れてもらえませんでした。私も子供を生めない身体になっていました。
 本当に水俣病はおそろしい病気です。私たちを永久に親子の味を感じさせてくれませんでした。この辛かった苦しみは忘れることはできません。
 二度と、このような悲惨な患者や家族を出さないようにしてください。どうか皆様も身体を大事にして下さい。私もこんな辛いことが繰り返されないよう語り伝えていきます。
 今は亡き忠一さん、良子、それに言い尽くせぬ苦しみの末に亡くなった多くの人たちの魂に捧げます。どうぞ安らかにお眠りください。わたしたちはあなたがたの魂と共に精一杯生きていきます.

  平成11年5月1日
               水俣病患者遺族代表 上野エイ子
 

トップへ戻る
環境庁長官 「祈りの言葉」
 慰霊式に臨み、まずはじめに、水俣病により、かけがえのない生命を失われた方々に対し、心から衷心の意を表します。
 また、平成7年に水俣病問題の最終解決策がとりまとえられた際に、苦渋の決断をされた各団体の方々や、関係者の方々に、心からの敬意を表したいと思います。
 私は、これらの方々の苦しみを決して忘れることなく、水俣病のような悲惨な公害が二度と繰り返されないよう、環境行政の推進に全力で取り組みことが自らの使命であると、本日、改めて固く誓う次第であります。
 さて、水俣病の救済をめぐる問題につきましては、先の最終解決策により、一つの節目を迎えることができました。そして、現在は、患者の方々や住民の方々が、ともに手を取り合って、心豊かに暮らすことができる地域社会を築く「もやい直し」の活動が、三ヶ所の「もやい直しセンター」を含めて、活発に繰り広げられていると伺っております。
 また、当地におかれましては、全国的にも注目を集めている21種類にも細分化されたゴミの分別収集や、環境管理システムの国際規格である「ISO14001」の認証の取得など、環境に配慮した新しい町づくりも進められていると伺っております。
 私は、このように、地域の住民の方々や自治体が、水俣病の教訓を胸に、意欲にあふれた地域づくりを目指していることは、大変素晴らしいことだと考えております。
 環境庁におきましても、水俣病の悲劇を教訓として謙虚に学び、その経験を国内外に活かしていくための取組に力を注いでまいりました。
 特に、水銀汚染のおそれのある途上国において、水俣病のような悲劇が二度と繰り返されないよう、インドネシア、フィリピンに続き、本年三月にはタイにおいて国際セミナーを開催し、地元の皆さんにも御参画いただいて、我が国の経験を伝えてまいりました。
 また、昨年発足二十周年を迎えた「国立水俣病総合研究センター」においては、研究活動に加え、地元の関係者の方々とともに、水俣病の経験を活かすための種々の取組を行っております。
 さらに、水俣病に関連する資料や情報を収集、解析するとともに、提供、発信する機能を備えた水俣病情報センターを、この地区に整備することといたしました。これは、地元の皆様への情報提供はもちろんのこと、国際貢献を図る上でも大きな意欲を有するものと信じております。
 また、平成十三年に、水俣市で開催することが内定している「地球環境汚染物質としての水銀に関する国際会議」についても、積極的に協力したいと考えております。
 今後とも、研究センターを拠点として、地元の皆様とともに、水俣病の貴重な教訓と我が国の持てる技術を活かすための取組に、一層邁進することを誓う次第であります。
 私は、豊かな自然が回復したこの地の再生を確信しつつ、できる限りの協力をしてまいりたいとかんがえております。
 最後に、改めて、水俣病の犠牲となり亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
  
 平成十一年五月一日 
                 国務大臣 環境庁長官 真鍋賢二


トップへ戻る
熊本県知事 「祈りの言葉」
 本日、水俣病犠牲者慰霊式が、御遺族、患者の皆様をはじめ、多くの市民の皆様、また、環境庁をはじめ関係各位の御臨席をいただき、厳粛に執り行われるに当たり、祈りの言葉を申し上げます。
 まず、水俣病により亡くなられた方々に対し、謹んで哀悼の意を表しますとともに、御遺族、御親戚の皆様方、また、今なお、水俣病に苦しんでおられる方々に対しまして、心からお慰めの言葉を申し上げます。
 その被害の広がりと深刻さによって、世界の注目を集めた水俣病は、波静かな不知火海と緑豊かな自然環境に恵まれた水俣及び周辺地域に発生しました。その結果、地域の方々の命や健康ばかりでなく、地域社会の連帯感を損なうなど、地域社会全体に様々な不幸をもたらしました。
 水俣病によって、心身ともに、耐えがたい御苦労をしてこられた方々に思いをいたしますとき、深い痛惜の念を禁じえません。
 水俣病の発生以来、県といたしましては、被害者の方々への補償・救済はもとより、地域の健康不安の解消に努めてまいりました。
 また、公害防止事業や魚介類対策を実施し、水俣湾の環境を復元するなど、水俣・芦北地域の社会的・経済的安定を図るため、国や地元水俣市などとともに精一杯取り組んでまいりました。
 水俣病をめぐる状況は、ここ数年大きく変化し、被害者の方々の救済問題は、政府解決策の実施により、新たな段階に入りました。また、水俣湾仕切り網の撤去を実現し、かつては豊かな魚介類を育み、多くの人々に恩恵とやすらぎを与えてきた「ふるさとの母なる海」水俣湾を取り戻すことができました。
 地元では、水俣病の発生によって損なわれた地域社会の心の絆を修復し、住民相互の交流を深める、「もやい直し」の本格的活動を始められました。
 また、水俣市では、水俣病の経験という地域特性を踏まえ、「環境モデル都市づくり」を目指して、地域住民の方々が率先して取り組んでおられます。その環境保全にむけた姿勢は、国内外の高い評価を受けておられます。
 このように、水俣病の苦い経験を踏まえながら、地域の再生・振興に向かって、地域の方々が一丸となって取り組まれている状況に、これまでの永い年月を振り返って、感慨無量の気持で一杯であります。
 今後、県といたしましても、水俣病の教訓を謙虚に受け止め、地域社会の再生・振興が速やかに実現するよう、全力を挙げて取り組む決意を新たにしているところです。
 また、環境保全については、県政の重要課題として、積極的に取り組み、水俣病のような公害問題が繰り返されることがないよう情報発信にも努める覚悟であります。
 公害の原点と言われる、この水俣で、水俣病の教訓を生かし、明るく、活力に満ちた地域づくりを実現していくことが、水俣病で亡くなられた御霊に報い、水俣の目指すべき道ではないかと考えます。
 ここに、重ねて、地域再生への誓いを新たにし、水俣病により亡くなられた方々の御冥福を心からお祈り申し上げます。

  平成11年5月1日
               熊本県知事 福島譲二


トップへ戻る
チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」
 水俣病の犠牲となられました方々の慰霊式にあたり、謹んで御霊の安らかなることをお祈り申し上げます.
 当社は、創業以来、永年にわたり、地域の皆様に支えられ、地域とともに歩んでまいりました。しかるに、当社の工場廃水に起因して、水俣病を惹き起こし、このため多くの方々が犠牲となられましたことは、真に痛恨の極みであります。
 ここに、心よりお詫び申し上げますとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 当社は、この経験を心に刻み、環境に配慮し、環境への負荷を軽減する努力を重ね、再びこのような公害を起こさないことを、固くお誓い申し上げます。
 今日、かってない不況のため、あらゆる企業は、その存続をかけた懸命な努力を続けております。
 当社は、これまで水俣本部の事業拡充などによって、体質の強化に努めてまいりました。
今後も引き続き、会社を挙げて、さらなる収益力の強化をはかり、何としても、この難局を乗り越えて、補償の責任を果たすとともに、事業を通して地域の発展にお役に立ってまいりたいと存じます。
 そのことが、犠牲となられました方々の鎮魂のため、また、国、熊本県及び地元の皆様からいただいております温かいご支援にお応えする最善の道であると信じております。
 これらのことを固く肝に命じて、日々一層の努力を重ねますことを、ここにお誓いし祈りの言葉といたします。

  平成11年5月1日
               チッソ株式会社常務取締役水俣本部 寺園成信
 


トップへ戻る
小・中学生代表 「祈りの言葉」
 新緑がまぶしい山々、蛍の飛び交う姿が見られる川、そして夏休みに泳ぐのが楽しみな海・・・・。
 豊かな自然に囲まれている水俣。しかし、この美しい町で、水俣病は発生したのです。
 物質的な豊かさのみを追い求め、環境を破壊し、生命を軽視したことが、水俣病を生むことにつながったのだと私は思います。だからこそ、私達がこれから心がけていかなければならないことは、まず、私達自身が「水俣」そして「水俣病」のことを正しく理解し、他の人々にきちんと伝えていくことだとおもいます。
 次に、現在の身の回りの環境問題について考え、行動していくことだと思います。いたるところに、タバコの吸いがらや空き缶、お菓子の袋などのゴミが散乱していて、それを見る度に心が痛みます。
 私の通う葛渡中学校では、VS活動として、地域清掃を行っています。また、毎月のあいさつ運動で、地域の方々との笑顔の交流も続けています。私達の活動は本当に小さなことかもしれませんが、「今、自分にできること」とは何かを一人一人が考えて頑張っています。この活動がいつか大きな活動への踏み台となり、たくさんの人達に役立てられればと願っています。
 最後に、水俣病によって大切な命をなくされた方々のご冥福をお祈りし、今も病と闘っておられる患者さんと共に、水俣病の経験を貴重な教訓として、私達の身の回りの小さなことにも目をやり、水俣をより良い町にしていくことをお誓いし、祈りの言葉と致します。

  平成11年5月1日
                 水俣市立葛渡中学校  小木美佳
 


トップへ戻る
高校生代表 「祈りの言葉」
 私は水俣で生まれ、生活していることを誇りに思っています。日本の高度経済成長の中、その副産物としてあのいまわしい水俣病が発生しました。環境を破壊し、そして水俣に住む人々に大きな混乱を与え、心に大きな傷を残しました。この世界には、まだ水俣病の存在を知らない人はたくさんいます。そして水俣には偏見や誤解にみちた悪いイメージも存在しました。しかし、水俣には美しい自然がたくさんあります。水俣は海、山そして春になると花開く桜など、素晴らしい一面もたくさん持っています。確かに、先程言ったように水俣病が発生して水俣全体にも大きな傷を負いました。体の自由を失った人も少なくありません。
 しかし、今水俣は大きく変わってきています。ご存じの通り今年度の国体では水俣において、埋立地に姿を変えたこの地を中心にカヌーとソフトボールの開催が予定されています。竹林公園や水俣病資料館、もやい館など様々な施設もでき、今なら水俣病を知っていない人達にも分かってもらえるのではないでしょうか。
 今一番いえること、それはこの大きく変わっていく水俣を引っ張っていくのは、私たち若者達ということです。21世紀も、もう目の前に来ています。私たちは水俣の様々な伝統とこの美しい自然をいつまでも残し続け、次の世代に伝える義務があります。残念ながら失われた生命は、もう取り戻すことはでません。そして体の自由も取り戻すことはできません。しかし、水俣の負った大きな心の傷をいやし、昔の水俣の美しい自然を取り戻すことは可能です。
 今、水俣市ではゴミの分別など様々な努力をしています。私たち若者が力を合わせ、未来の水俣をつくる新しい案をたくさん出し、もう二度とこのような事がないように、そして人と人が傷つけ合う事がないように、これからの水俣をつくって行こうと思います。
 最後に、水俣病の犠牲となられた多くの方々のご冥福をお祈りし、美しい水俣にしていくことを誓い、祈りの言葉とさせていただきます。

  平成11年5月1日
                 熊本県立水俣工業高等学校 建築科2年 渕上祐樹
 


トップへ戻る