施設案内

開館時間
午前9時~午後5時まで
入館無料、駐車場無料

休館日
月曜日
(月曜が祝日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/3)
駐車場
乗用車270台
大型バス15台
(案内はこちら)

※障がい者・高齢者用の駐車場については、事前にご相談ください。

所在地
〒867-0055
熊本県水俣市明神町53番地

TEL
0966-62-2621
FAX
0966-62-2271


※資料館HPに掲載されている写真等について、無断で刊行物、WEB上に掲載することを固くご遠慮申し上げます。


水俣病犠牲者慰霊式

平成10年度水俣病犠牲者慰霊式 式辞・祈りの言葉


水俣市長 式辞
 水俣病犠牲者慰霊式を挙行するにあたり、水俣病の発生によって犠牲となり、尊い生命を失われた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。
 水俣病の公式発見より42年目の春が来ました。一昨年、40年目にしてようやく政府による水俣病問題の最終的な解決が図られましたが、今だに水俣病患者であることを明らかにしないなど、心身ともに傷を背負っている患者もいます。いわれなき偏見差別中傷の中で深く傷ついた患者の心の傷や、地域社会の崩壊によって住民の受けた経済的、精神的な大きな打撃の回復は今だの感があります。私どもは、このような公害の悲惨さと環境復元の困難さ、合成化学物質の計りしれない恐ろしさなど、水俣病事件を20世紀の教訓として歴史にとどめようと努力をはじめているところであります。
 発展途上国では工業化による経済発展が続いています。昨年のインドネシアに続き、今年もフィリピンにおいて水俣病の教訓をつたえる環境庁主催のセミナーに患者や市民代表も参加し、公害を引き起こすことに比べ回復のためのエネルギーがいかに膨大かを伝えました。
 また、最近環境ホルモンという言葉が聞かれるようになってまいりました。殺虫剤、塩ビ系の物質の焼却などで大気に排出されるダイオキシンなど、私たちの暮らしの身近なところにある人間の作り出した化学物質が、生き物の体内で偽のホルモンとして作用し、異変を起こしていると言われています。精子の減少、不妊の増加など生殖系への影響にとどまらず、脳や神経系にも作用し行動異常をおこし、問題にされはじめています。この恐ろしい環境ホルモンについても水俣市民は化学物質によって被った公害の経験から強く警鐘を鳴らしてまいります。悲劇を引き起こした水俣病でありますが、一方では国内外のたくさんの人々と心をつなぐことができました。これらの人々のご支援をいただくとともに精力的に市民相互の対話を継続し、過去に目を閉ざすことなく、将来に心を向け、「あの悲惨な水俣がこんなすばらしいまちになったのか」と国際的な注目を集められるような地域再生を創造してまいりたいと存じます。失ってしまった人間関係を修復する「オレンジ館」に引き続き、健康や福祉の増進を図る総合もやい直しセンター「もやい館」も完成しました。水俣の海もきれいになり、水俣湾仕切り網も昨年、23年ぶりに撤去されました。市も環境に配慮する環境管理システムを他に先駆けて構築し国際的な認証を取得しようと準備を始めています。また、環境学習基地としての整理を進め、21世紀を担う全国の中学校、高等学校の教育施行などのお役に立って参ります。
 「生きていてよかったと一度は思って逝きたい、犠牲を無駄にしないでください」と言う患者の願いを胸に、環境都市水俣を創造してまいります。
 最後に地域丸ごと水俣病の被害を受けた水俣が、深い傷を癒しつつ、患者を含む全ての市民が手を取り合って、環境都市水俣づくりを進め、国際社会に貢献いたすことをお誓いし、水俣病犠牲者のご冥福とご遺族のご清福を重ねてお祈り申し上げ式辞といたします。

  平成10年5月1日
                    水俣市長 吉井 正澄
 

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水俣病患者・遺族代表 「祈りの言葉」
 思い起こせば私たち一家の水俣病は、昭和29年頃のおとうさん、あなたの身体の異変に始まりました。
 昭和10年頃、私たちは水俣湾の奥にある百間に住み、あなたは時計屋の本業を忘れて魚を採っていました。魚がご飯だった暮らしを思い出します。幼児の私は、百間港に置かれていた材木の上や、潮干狩りで毎日遊んだ記憶があります。
 私の弟や妹は小児マヒで亡くなったと聞いていますが、本当に小児マヒだったのでしょうか。戦後もちょっと落ち着いた昭和29年頃、あなたは身体がかなわなくなり、船から落ちることもありました。そして、目が不自由になり、ついにはキセルに火をつけることも出来なくなってしまいました。
 とうとうあなたは孫の顔を見ることもなく、私たちの元から去っていってしまいました。
そしておかあさん、あなたも孫の運動会を見ることもできなくなった身体のまま、おとうさんのもとに行ってしまいました。
 水俣病の苦悩はそれで終わりではありませんでした。私が水俣病に認定され補償金を手にしたことで「おっどんも、水俣病にでんならんば」と陰口が聞こえてきたこともありました。子ども達に送る野菜や果物といっしょに、水俣の名前の入ったタオルを入れれば、子ども達は迷惑顔でした。
 しかしあなた達がいなくなって、それから長い時間が経って、水俣は大分変わりました。
水俣湾の水銀は埋め立てられ、明神の丘には水俣病の資料館さえ作られ、全国から人々が水俣病を学びにやってきています。水俣病の語り部達の話は、聞く人の心を開いているようだと言われています。
 昔私たちに陰口を言っていた人も、95年政府解決策をひとつの区切りとして受け入れた私たちの気持ちを、分かってくれる人が多くなったと思います。
 私たちが苦しい毎日の中で続けていた裁判を支えてくれた人達は、今でもあなた達のことを忘れてはいません。水俣の人達の気持も、今では少しずつ和らいで、差別のない隔たりのない町にする努力が続けられているように思います。水俣を出てよそで暮らす人達も、もう一度水俣に帰りたいと言っているのを聞きます。
 父や母とともにこの地に眠っておられる皆さんの尊い生命と、数え切れない病苦の数々は、この町が被害者や被害にあった生き物への祈りに包まれる時、そして水俣の人々の暮らしが環境や健康を第一とできるようになった時、初めて報われるのだと信じています。
 ここに眠る多くの水俣病犠牲者の皆さん。世界中の人々がこの水俣で起きた水俣病事件の教訓を、人間の生き方そのものにできる日まで、どうぞ私たち遺族と、水俣に住む全ての人々、そして水俣と水俣病の犠牲者に心寄せ続けてくれる人々を、見守り続けて下さい。
 そして、安らかにお休みください。

  1998年5月1日  
                    荒木洋子
 

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環境庁長官 「祈りの言葉」
 はじめに、水俣病という未曾有の公害により、かけがえのない生命を失われた方々に対し心から哀悼の意を表します。
 また、平成7年に水俣病問題の最終解決策が取りまとめられた際に、永年にわたる苦悩と重い歴史を背負いながらも、苦渋の決断をされた各団体の方々や、関係者の方々に対し、心から敬意を表したいと思います。
 私は、これらの方々の苦しみを決して忘れることなく、水俣病のような悲惨な公害が二度と繰り返されないよう、環境行政の推進に全力で取り組むことが自らの使命であると、本日の慰霊式に臨み、改めて固く誓う次第であります。
 さて、水俣病の救済をめぐる問題につきましては、先の最終解決策により、一つの節目を迎えることができました。今後は、患者の方々や住民の方々が、ともに手を取り合って、心豊かに暮らすことができる地域社会を築く「もやい直し」の活動が大変重要であります。
 熊本県と協力して、環境庁も、その整備などの支援をさせていただいた「もやい直しセンター」につきましては、「きずなの里」、「おれんじ館」に続き、本年2月には「もやい館」が開設され、地域の方々の参加を得へ、既に様々な意欲的取組が進められていると伺っております。私は、これらの「もやい直しセンター」が、地域の全ての方々が自由に語り合うことのできる場として利用され、多様な交流を促し、人と人との心の絆をもう一度しっかりと結び直していく、そういった施設として地域に根付いていくことを願って止みません。
 また、当地におかれましては、環境に配慮した新しい町づくりも進められていると伺っております。これは地域の自治体や住民の方々が、水俣病の経験を教訓とする高い環境意識をもたれていることの表れであります。こうした取組がねばり強く続けられることにより、広く国際的にも模範となられんことを期待する次第であります。
 さらに、チッソに対しましては、環境に配慮した町づくりを進める地域社会の企業として、また、水俣病原因企業としての責任を踏まえ、その持てる高い技術力を活かして一層努力されることを期待しております。
 環境庁におきましても、水俣病の悲劇を教訓として謙虚に学び、その経験を国内外に活かしていくための取組に力を注いでまいりました。
 特に、水銀汚染のおそれのある途上国において、水俣病のような悲劇が二度と繰り返されないよう、平成8年度のインドネシア・セミナーに引き続き、本年2月にはフィリピンにおいて、地元の皆さんにもご参画いただいて国際セミナーを開催し、我が国の経験を伝えてまいりました。
 また、「国立水俣病研究センター」については、一昨年に、従来からの医学的研究に加え、社会科学的研究や自然科学的研究を含めた水俣病の総合的な研究を行うため、「国立水俣病総合研究センター」として、組織を拡充いたしました。そして、昨年より、散逸のおそれのある水俣病に関する貴重な資料の収集・整理のための取組を始めるなど、地元の関係者の方々とともに、水俣病の経験を活かすための取組を始めました。国際協力についても、昨年7月には「国際研究協力棟」を開設し、更なる充実を図っているところであります。
 私は、今年、発足20周年を迎える研究センターを拠点として、今後とも、地元の皆様とともに、水俣病の貴重な教訓と我が国の持てる技術を活かすための取組に、一層邁進することを誓いますとともに、皆様の一層の御支援をお願いする次第であります。
 水俣湾の仕切網も撤去され、豊かな自然が回復したこの地には、地域再生の拠点となる施設が整い、そして何よりも、水俣病の教訓を胸に地域づくりを目指す意欲にあふれた地域住民、NGO、事業者、自治体が集まっております。私は、この地の再生を確信しつつ、私どもとして、できる限りの協力をしてまいりたいと考えております。
 最後に、改めて、水俣病の犠牲となり亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
       
  平成10年5月1日
                 国務大臣・環境庁長官  大木 浩

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熊本県知事 「祈りの言葉」
 本日、水俣病犠牲者慰霊式が、御遺族、患者の皆様をはじめ、多くの市民の皆様、また、(環境庁長官をはじめ)関係各位のご臨席をいただき、厳粛に執り行われるに当たり、祈りの言葉を申し上げます。
 まず、水俣病により亡くなられた方々に対し、謹んで哀悼の意を表するとともに、御遺族、御親戚の皆様方、また、今なお、水俣病に苦しんでおられる方々に対しまして、心からお慰めの言葉を申し上げます。
 不幸にして、この地で発生した水俣病は、地域の方々の命や健康ばかりでなく、美しい自然環境や互いに思いやる社会の連帯感を損なうなど、地域社会全体に、様々な不幸をもたらしました。
 水俣病によって、心身共に、筆舌に尽くしがたい苦労をしてこられた方々に思いをいたしますとき、深い痛惜の念を禁じ得ません。
 水俣病の発生以来、県といたしましては、被害者の方々への補償・救済や水俣湾の環境復元など、水俣・芦北地域の社会的・経済的安定を図るため、国や地元水俣市などとともに精一杯取り組んでまいりました。
 特に、昨年は水俣湾魚介類の安全性を自信を持って宣言し、仕切網を23年ぶりに撤去することが出来ました。湾内で操業を始められた漁民の皆様のお姿を拝見すると、「水俣の海が戻った」という喜びを実感するとともに、これまでの永い年月を振り返って、感慨無量の気持でいっぱいであります。
 地元では、既に、水俣病発生によって損なわれた地域社会の心の絆を修復する住民相互の交流、「もやい直し」の取組みが始められ、その拠点となる立派な施設も完成しました。
今後、これらの施設を活用した様々な取組みが本格化するものと思っております。
 また、水俣病の苦い経験をした私たちには、その教訓を世界に正しく伝え、地球環境の保全に積極的に取り組むことが求められております。このことについては、特に水俣では、早くからその重要性に思いをいたされ、「環境モデル都市づくり」を目指して、様々な分野で熱心に活動してこられました。その姿勢に敬意を表したいと思います。
 今後、県といたしましても、水俣病という大きな犠牲によって得られた経験を謙虚に受け止め、地域社会の再生・振興が速やかに実現するよう、全力を挙げて取り組む決意を新たにしているところであります。また、地球的規模で深刻な問題となっている環境保全についても、県政の重要課題として、積極的に取り組む覚悟であります。
 公害の原点と言われる、この水俣で、水俣病の教訓を生かし、明るく、活力に満ちた地域づくりを実現していくことが、水俣病で亡くなられた御霊に報い、水俣の目指すべき道ではないかと考えます。
 ここに、重ねて、地域再生への誓いを新たにし、水俣病により亡くなられた方々の御冥福を心からお祈り申し上げます。
       
  平成10年5月1日
                熊本県知事  福島譲二
 

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チッソ株式会社代表 「祈りの言葉」
 水俣病の犠牲となられました方々の慰霊式にあたり、謹んで御霊の安らかなることをお祈り申し上げます。
 当社は、創業以来、永年にわたり地域の皆様に支えられ、地域とともに歩んでまいりました。しかるに、当社の工場廃水に起因して、水俣病を惹き起こし、このため、多くの方々が犠牲となられましたことは、真に痛恨の極みであります。
 ここに心よりお詫び申し上げますとともにご冥福をお祈り申し上げます。
 私どもは、この経験を心に刻み再びこのような公害を起こさないことを、固くお誓い申し上げます。
 今日、地球規模での環境汚染が深刻になり、自然環境保護のための具体的行動が強く求められております。当社も事業運営にあたっては、環境に配慮し、環境への負荷を少しでも減らす努力を重ねてまいる所存であります。
 当社はこれからも、水俣本部の事業拡充などによる収益力の強化に努め、補償責任を完遂するとともに、事業を通して、地域の発展に役立つことが、当社に課せられた責務であると考えております。
 そして、このことが、犠牲となられました方々の鎮魂のため、また、地元をはじめ、国、熊本県などの皆様からいただいた暖かいご支援にお応えする最善の道であると思います。
 これらのことを固く肝に銘じて、日々一層の努力を重ねますことを、ここにお誓いして祈りの言葉といたします。

  平成10年5月1日
               チッソ株式会社常務取締役水俣本部長 寺園成信
 

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中学生代表 「祈りの言葉」
 青々とした海に点在する小さな島々。目の前には美しい風景が広がっています。
 しかし、この美しい海は、40数年ほど前から人々を苦しめてきました。水俣に住む人々はずっと水俣病とかかわって生活してきました。そのようななかで、中学生となった私は、水俣病について考えていることがあります。それは、水俣病は、人々の環境に対する無意識さが生んだ公害病ではないかということです。人間が自然環境を大切にしていれば水俣病はおこっていなかったと思います。自然にあまえていたのです。しかし、それでは自然環境は悪くなるばかりです。私達に必要なのは、まず環境を守るという意識を持つことだと思います。一人一人の環境への心がけは水俣病などの公害病の発生を防ぐ力になると思います。
 私達の湯出中学校では、牛乳パックのリサイクルに取りくんでいます。各自、自分のパックを洗って広げています。その牛乳パックはやがて新しい姿になってまた学校へかえって来ます。このようなことは、本当に小さな小さなことかもしれません。けれども、そこから始まっていくと思います。この小さなことが、しだいに大きな輪となって、水俣の街だけではなく世界中に広がっていくと信じています。
 私たちは水俣病発生の地に生まれました。だからこそ一番に環境を意識して美しい自然を守っていくという決意をせずにはいられません。
 不幸にして水俣病のぎせいとなられた方々のたましいと共に、またせいいっぱい病気と戦っておられる方々と共に、いつも環境に面と向かって生きていかなければならないと思います。私たちの力は、本当に小さい力ではありますが、その可能性を信じて、努力をして行くことをここのお誓いして祈りの言葉といたします。
 
  平成10年5月1日
                水俣市立湯出中学校 柏木静
 

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高校生代表 「祈りの言葉」
 私は、水俣に生まれたことを誇りに思っています。きれいな水、きれいな川、春になると一斉に花開く桜、町を囲む山々、そして海。水俣には、どこにも負けない、美しい自然があります。このような美しい自然をもつ水俣ですが、戦後の高度経済成長期の中、水俣病が起きました。自然が壊され、多くの方々の命、体の自由が奪われ、水俣に住むみんなの心に大きな傷を残しました。
 あれから水俣は大きく変わろうとしています。水俣湾も広大な埋立地に姿を変え、来年、熊本未来国体のソフトボール会場として利用される予定です。また、竹林公園や水俣病資料館など、水俣病を教訓とする施設もできました。市民一丸となった、自然を取り戻す努力も続けられています。仕切り網も撤去され、水俣湾で捕れる魚が市場へ出回るようにもなりました。しかし、私たちには、奪われた命、自由のきかなくなった体を取り戻すことはできません。私たちができることは、自然を取り戻す、また守る努力を続け、水俣病問題を過去の問題とせず、今の、そしてこれからの問題として、深く考え、向き合っていくことだと思います。二度とこのようなことが起きないように・・・また、起こすことがないように。これが21世紀を担う私たち若者のつとめでもあるのです。
 最後に、犠牲者の方々のご冥福を心からお祈りし、祈りの言葉とします。
     
平成10年5月1日
      熊本県立水俣高等学校  3年 中村美穂
 

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実行委員会代表 「祈りの言葉」
 世界に類例のない環境破壊によって発生した水俣病は、公式発見以来42年目を迎えました。犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の意を表します。
 犠牲になられた方々の無念の想い、御遺族のお気持ちを拝察いたしますとき痛恨の思いがいたします。
 42年という長いときが経過した今、被害者の救済が進められる中で、水俣湾内に汚染された魚を封じ込めてきた仕切網も撤去され、漁業振興策が始まっています。
 しかしながら、いわれのない偏見や中傷、差別を受け、言うに言われぬ苦悩を重ねてきた患者の傷ついた心を癒し、人間の誇り、尊厳を回復していくことが、私たちに課せられた大きな課題であります。
 水俣市では、水俣病の体験を貴重な教訓とする地域づくりが進められています。水俣病の問題に正面から取り組み、共存・共生しながら、水俣を再生していく動きが、国・県のご支援を得て進められています。
私たちは、あなた方の尊い犠牲が決して無駄にならないよう、また、水俣病のような悲劇が二度と繰り返されないよう国の内外に訴え続けてまいります。どうか安らかにお眠り下さい。
 ここに、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りし、併せて御遺族の皆様方の御清福を衷心より祈念いたしまして、祈りの言葉とします。

  平成10年5月1日
         水俣病犠牲者慰霊式実行委員会委員長  蓑田 弘


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